たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

How do we make it time-independent?

2012-11-27 00:30:21 | Weblog
 実質的に上手く行ったのに何故か満足できていないなら、多くの場合、その成果が受け入れてはもらえない集団をメインに考えているから。
 この程度の論理性じゃぁ、こんなパフォーマンスじゃ、この方向性の成果じゃあ、きっと彼ら彼女らはダメって言うだろう、って考えてしまうのであれば、今いる集団に合っていないのかもしれない。

 ただ、こういう感情の中でも、実質的に上手く行ってるときは、まだイイ。
 問題は、実質的に上手く行かなかったとき。

 ホンモノを求めて、その中枢を審査基準に選んだはずなのに、気持ちの部分に依存して不安感で満ちて揺らいでしまった時に、つい『そんだったら、即物的に勝れているものを、表面的に好みのを、選んだほーが良かったじゃん!!』って思ってしまう。
 思ってしまうということは、イコール、相手に伝わってしまう。

 まだサチって無いのに、ずっと、時間に依らない、って無駄に純粋だから、結果、何も得られないのかも。
 変数が多くなればなるほど、優位性の言葉の中から恣意的に選ばれるようになる。そんな物理現象に打ち勝つようにして、本当に価値あるモノや、ホンモノを抽出できるならば、それは、ヒトとして生きている価値に溢れているのだと思う。

 これは結構難しい問題だ。だって、ビックバンから宇宙が収束まで、世界のすべてはすでに定められているのか、そうじゃないのか、いくつかの現象の中にそうじゃない部分があるとするなら、それはどのような場合なのか、という問いに答えるようなものだからだ。
 最初っから決まっているのか、それとも自分で選べるのか。

 まだ定められていない、定めることはできない、いくつかの物理現象の中に、生命現象が入っていると信じているけど、だとしたら、あんまり最初っから、求め過ぎてはいけないのかもね。
 最初っから定まっているというと、それは運命的で、ロマンチックっぽいけど、実はそんなことは全然無い。ある個体がある対象を自らの意志によって選べるのであるなら、それのほーがよっぽど、ロマンチックだ。

 ちなみに、ここを量子論に落とし込んで、確率的だ、っとするオチの持っていき方がよくあるけど、それもロマンチックでは無い。存在が原理的に確率であるなんて、なんと、くだらない物理法則だろう(だからといって、量子論を否定しているわけじゃないけど)。
 確率論や決定論ということを超えて、意志というものがあって、それによって選ぶことができる、選び合うことができるほうが、楽しそうだし、幸せそうだと思う。

 だとしたら、時間に依らないはずだ!、っと思い詰めるのではなくって、いかにしたら時間に依らなくなるか?、を考えてみたら、素直になれるのかもね。
 そうすれば、一番大事な気持ちを後回しにすることも無く、願いが叶うのかも?

 きっと実質的な結果に満足していないわけじゃない。
 ただ、もっと早くに気が付けていればな、っと想っているだけだ。
コメント
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