たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

楽しむ強さ

2009-08-05 01:49:10 | Weblog
 ついに、明日か。最初の勝負っ。

 同じ時をいつまでも刻むわけではないと本当の意味で気がついてからちょうど6年。いつかは出ていかなきゃいけないと、自分の足で歩かなきゃいけないと気がつきだしてから、そして、学習というモノを習慣化しようとしてから、ちょうど6年。その習慣も2年以内に終わると思っていたのに、まさか3倍近くかかるとは思わなかった。

 夏から数える、最初の1年は、自分のベースのStyleを確立するだけで終わってしまったと思う。その中で、実質的に何をしなきゃいけないか?というよりは、理想や信念や精神的な部分が強かった。それはそれで、無駄だけど、必要な時間なのだと思う。青チャートや理科のシグマベスト、当時の単語帳は今でも開くし、確認する。この基礎があるからこそというのと、同じ。
 次の1年は、失敗からの立ち上がり方を学んだ。この失敗があるから、怖さを知っている。今まで完全無欠に上手く行っていても、失敗するのだという当たり前の事実と、今までの自分をきちんと否定する作法を学んだ。
 その次、自分の最大の緊張と、精神面を考慮した上での限界を学ぶことができた。一方で、ここまでやっても、掴めない、敵の強大さを感じた。
 実益のある模試として受けた、あの『変換』の1年は、絶対に無理だと思ってから勝負することと忘れ物の取りに行き方を学べた。変換後のが案外緊張していて、最下位という気持ちからのスタートと、ゆっくりそれを乗り越える強さがついたと思う。

 そして、この2年、一番学びとったことは、学習を楽しむということ。それは、最初の一年目からちゃんと意識していたけど、密度として一番だったのはこの2年である。

 気をつけて欲しいのは、楽しい、ではない。楽しむ、である。能動的という面で、全然違う。感じ取ったままの受動的な楽しいではなく、能動的な楽しむ。
 自然にできるのなら本当に本当に向いているのかもしれないけど、そんな人達はきっと少数で、ほとんどは、その選択肢しかなかったのだと思う。

 『お前、ホント、うまいわー。たぶんだけど、ほぼ間違いなく、そう答えるよね。』
 「僕のやり方は常に相手の選択肢を消していくことだからね。そりゃそうでしょ。」

 裏を返せば、いつでも選択肢の少なさを自分で自覚しているということ。こうすれば、最初っから楽しい人と、カワラナイのか??
 かわろーがかわるまいがどちらにせよ、結果的に、自分の中で、少なくとも、ツライ…からの脱却はできてるわけだし(もちろん、直前は別)、結果、おもろい、まで行けるんだから、イイんだと思う。
 そして、それでイイんだっということも、また、知った。

 やれることは、ここまで、全てやったはずだ。この直前期はもちろん、この6年でね。
 数々の想いと知識を集めて、ひとつひとつ、楽しみながら、そして、繋ぐこの時を愛しく思いながら、
 …問題、かかってこいやーっ。
コメント (3)
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