たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

最強マリオネットの代償

2009-05-14 02:53:34 | Weblog
 今日は、2時間もプレゼンをして、ちょっと疲れた。でも、充実していたかな。
 少なくとも俺は、トーマスフェルミ近似やGP方程式、そんな言葉達は、きっと、将来使うことはないだろう。でも、一生懸命に理解したい、全力で考えたいっという想いでいっぱいだった。最初は、もう、どーでもいいや、ある程度テキトーにやろっと思ったけど、それじゃぁきっと何をやってもダメだなって思ったのである。
 「今」にきちんと一生懸命なるために。

 初めてここまで自分の物理の力を使った。本気で全力をだしてみようと思えた。
 本気で自分の物理の実力を放出しようと思うからこそ、何回も何回も小さな挫折をしていったんだと思う。一瞬、すべてを投げ出して全部パーにしてしまえばイイや、までよぎったが、それも振りはらい、最後までシコウしきった強さを確認するだけで、やっぱ本気をだしてみて良かったって思えたのである。

 腰掛けに使ってるわけではない。何かを得たいと思ってきている。
 それが、俺が一番望む将来と一致していないだけ。ただそれだけだ。将来頑張るというのは、今頑張らないことの言い訳にするべきではない。今この時を頑張れない人間は、きっと一生どこでも頑張れないのだ。だから、どんなに苦しくても、どんなにつまらなくても、どんな状況になろうとも、それをすべて受け入れ、今できることを誠心誠意やっていくしか、人間にはできないのである。

 生物系を目指す俺の目の前で、そんな風にしちゃうの??読めてないわけないじゃん。
 そのテクニカル分布の中の存在確率がゼロに限りなく近いことを見えてしまった瞬間、またそれが好きになってしまったりする。

 そう、周りの人間が彼にとって本当に必要なのか?と言われたら、俺にはわからない。
 ただ、少なくとも俺は、そういう風には、絶対なりたくないのである。だって、それは、ものすごく、とても、ものすごく、賢者のように見えるし、普通にはそこまで見えなくても、すげーなって思うかもしれないが、生命を背負うというマイナス面が、無限大であるから。その気持ち悪いくらい純粋な気持ちの容量が無限大であることとの引き換えだとしても。それほどの力であったとしても、いらない。
 だって、何より大切なのは、今生きていることだからである。対象系が、自分でも、他の誰かでも。

 そして、コヒーレンス長も定義できず、決してbulkに戻らない時間にすら依存しないソリトンもない彼らの想いは、彼らとともに常につきまとうのである。
コメント
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