たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

プライドのせーで、「本質」から抜け出せない

2008-05-10 00:27:28 | Weblog
 俺は、プライドを、きちんと持っている人が好き。また、そうでありたいとも思っている。

 プライドという言葉は、それ自身があると厄介なときに、プライドと使う場合が多い。「プライドが邪魔をして…」だとか「俺のプライド的に…」だとか。
 そんなマイナスイメージをもっているプライドだが、だからといって、まったくプライドを持ってないとなると、それはそれで困る。頑張った自分へのご褒美として、プライドを持つ事は大事なのだ。

 何をプライドとしているかは、人によって異なる。
 例えば、二つの対比を作るなら、「頑張る事、いや、頑張れる事に、プライドを持つ」タイプの人と、「頑張らないで、いかに良い結果を出すか?という事に、プライドを持つ」タイプの人とがいると思う。
 どっちが善か悪かを述べるつもりはない。俺は、どっちも必要なプライドだと思う。

 というのは…、俺は、高校生の頃から今まで、かなり頑張る事にプライドを持つ事に費やしてきた。でも、最近、結果を出すという、事実上の目的のみを考えて、いかに良い結果を出すか?ということも、それはそれで大事な気がした。
 悪いイメージの言葉で言えば「目的のためなら手段を選ばない」みたいな。あ、ちょっとズレるかもだけど、「愛のためなら、なんでもする」みたいな。

 でも、なかなかそっちサイドに行けない…。単純に「楽しいから」とかじゃなくて、目的に向かって嫌なことに立ち向かう事って、案外、俺は苦手なんだな…っと思った。
 でもでも、でも、そっちサイドに多少は行かなきゃな。バカなくらい生真面目なだけでは、何も見えないと思うし、損が多い気がする。というか、できるだけ頑張らないで結果を出す事に頑張る事も、それはそれで、生真面目だし。

 誰かをたてるために、どっちのタイプのプライドでも、プライドを捨てて話す人は嫌い。それは、彼等からすれば、「プライドを捨てられるという事にプライドを持ってるんだよ、俺等は」って言いそうだけど、そこは、純粋であって欲しいなっと思う。

 
 実質も本質も、どっちも大事か…。うんうん。納得しかけてたら、色々な言葉がよぎった。

 「勉強はしたいときにするもんだろ?」
 「演技してる自分を相手に好きになられても困るだろ?」
 「気持ちをぶつけない音楽なんて、やる意味ないぜ?」

 全部俺が言った言葉じゃないのに…。はぁ~あ~、しばらく、こっちサイドにいちゃうのかな~…。
 っま、そんな純粋さが、俺のウリではあるんだけど(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする