Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

ゆけゆけ二度目の季節

2015年10月19日 | 読んでいろいろ思うところが

四方田犬彦「テロルと映画 スペクタクルとしての暴力」(中公新書)を読む。

映画はテロリズムをどう描いてきたか。

というか、映画自体がテロリズムであるというアプローチで、

「ダイ・ハード」「天使の恍惚」「欲望のあいまいな対象」など、

さまざまな監督の作品を検証する。

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ネバー・エンディング・邪悪

2015年10月17日 | 邪悪なT君

うひょひょひょひょひょ。

 

体の調子が悪いときに限って現れるとは。

何の用だ。貴様と話す余裕などないのだ、邪悪なT君よ。

 

「聞きましたよ~胃が痛いらしいじゃないですか~。

 そんなときには、やっぱりアレだと思って、

 リサーチしてたら、一平ちゃんがやらかしちゃいましたね~。

 なんとマヨラーメンですよ~マヨ~」

 

一平ちゃんと言ったら、焼きそばだろう。

なぜラーメンなのだ。しかもマヨとは。誰が望んでいるというのだ。

 

「一平ちゃんの焼きそばに入れる

 辛子マヨの小袋が余ったんじゃないですかね~。

 じゃあラーメンに入れちゃおうっていう。発想がなんともアレですね~。

 しかもガーリック豚骨醤油味って、

 詰め込み過ぎてわけがわかりませんよ~」

 

わけがわからないのは、貴様の方だ。

そんなモノ喰ったら胃が死ぬに決まっているだろう。

 

「ショック療法ですよ~。

 弱っている胃に喝を入れてやりましょうよ~。

 今度こそ桃源郷が見えますから~うひょひょ」

 

喝を入れられるのは貴様の方だ。

というか、今日こそ息の根を止めてやる。

 

奴の弱点は脳天である。

狙いをつけて、引き金に手を掛けた。

貴様の悪運もここまでだ。桃源郷を自分の目で見るがいい。

 

 

うひょひょひょひょひょひょ。

(以下、無限ループで続く)

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存在の耐えられない邪悪

2015年10月16日 | 邪悪なT君

胃痛はなんとかおさまった。

が、まだ油断はできない。

再発しないように、騙し騙し、小市民として生きるのだ。

長いものに巻かれながら生きていくのだ。

 

うひょひょひょひょひょひょ。

 

 

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アレもコレも断つ男

2015年10月15日 | もう瀕死で

うう。また胃痛が。

なぜだ。焼きそば(主にカップ)も麦のアレも自粛しているというのに。

お天道様にも恥ずかしくない生き方をしているはずなのに。なぜだ。

ひょっとしてコレが悪かったのか。

昨日のランチで食した「おろしカツ丼」である。

というか、最近この手のモノをやたらに食す傾向がある。ソースカツ丼とかもそう。

自分、そんなに好きだったっけと自問自答。

 

やむを得ない。こうなったら、

 

焼きそば(主にカップ)断ち。

麦のアレ断ち。

ソースカツ丼断ち。

おろしカツ丼断ち。

 

嗚呼。これだけのモノを断たなければならないなんて、

人生、ほかにどんな喜びがあるというのだ(いや、ない)。

 

 

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躁鬱ペンギンの愛と冒険

2015年10月14日 | 日々、徒然に

昨日、誕生日だったこともあって、

とある人から本をいただく。

翻訳本の「ペンギンの憂鬱」という小説で、

著者はアンドレイ・クルコフというウクライナの作家。

知らない作家だったけど、奥付を見たら14刷。

新潮クレストブックスの1冊で、ソフトで可愛らしい装幀もいい感じ。

 

憂鬱症のペンギンと売れない小説家の話とな。

少しずつ読み進めているけど、冒頭から快調で面白そう。

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危険なめぐり逢い

2015年10月13日 | 日々、徒然に

11時から五反田で打ち合わせ。

ほぼ同じ時刻、その五反田で60代の男性が

いきなり刃物で刺されたという事件が。

幸い男性の命に別状はなかったが、

刺した犯人は「人を殺してみたかった」と供述しているらしい。

まさに現場の近くにいたわけで、

刺されたのが自分だったとしてもおかしくないというか。

 

いきなり刺されたら嫌だろうな。

最初は何がなんだかわからず、時間が経つと、

自分がどうなったかがわかってくるんだろうな。

そんな想像をして戦慄。そして仕事。

 

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揺らぐ断念

2015年10月12日 | 日々、徒然に

半袖だと寒いけど、長袖だと暑い。

暑いか寒いか、どっちかにしてくれ、と思いながらも、

今はまさに過ごしやすい時期なのだろう。

だからといって、どこか行楽に行くわけでもなく、

いい季節だなーと感じつつ、仕事を少し。

せめて銭湯に行って、麦のアレでも、という計画を立てるも、

仕事を始めたのが遅かったので、帰宅も遅れて、

銭湯の時間に間に合わず、断念。

麦のアレも断念するぞ。きっと。おそらく。たぶん。

 

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美の追究、そして闘い

2015年10月11日 | 読んでいろいろ思うところが

沢木耕太郎「オリンピア ナチスの森で」(集英社文庫)を読む。

1936年、ナチス政権下のベルリンで開かれた

第11回のオリンピックの記録映画「民族の祭典」と「美の祭典」に

映し出された、当時の日本人アスリートたちと、

この映画を監督したレニ・リーフェンシュタールをめぐるノンフィクション。

本書を読むきっかけになったのは、

最近、初めてレニの「民族の祭典」と「美の祭典」を見る機会があって、

その健康的で美的な映像に驚き、

かつ、スクリーンに映し出されるアスリートが

勝者と敗者に分かれるさまに興味を抱いたからだ。

 

語り部(沢木)が、ドイツまでレニに会いに行くところから始まり、

メダルを獲った日本の競泳や陸上の選手たちの、

勝負の明暗を分けた瞬間を、彼ら彼女らの証言をからめて

スリリングに描写していくところは、さすがの沢木節。

 

マラソンで金メダルに輝いた孫基禎は、朝鮮人なのに、

日韓併合により日本人として出場。表彰式でも日章旗が上がるという

出来事もあり、それはそれは複雑な思いがあったに違いなく、

そのあたりもかなり踏み込んで書かれていて、

相当な時間と労力のかかったノンフィクションだと思う。

 

沢木の会ったレニは、かなりの高齢だったにもかかわらず、

確固とした信念とアーティストとしての自負をまとった人として描写される。

ナチスに加担したという嫌疑は死ぬまで晴れなかったようだけど、

とてつもない意志の強さがあったから、あんな美しい映画が撮れたのだろうと想像する。

レニを始め、当時のアスリートはほぼ鬼籍に入っていることからも、

貴重な歴史的資料としての価値は高いと思う。沢木作品の中ではマイナーだけど。

 

作中、沢木が「眉唾」だと書いているけど、

レニが戦後、来日した際、

ベルリンオリンピックのときに知り合った

日本のアスリートに、今度の東京オリンピックの記録映画の監督に

自分を推挙してくれないかと頼んだというのだ。

しかし、そのアスリートは、

残念ながら、もう監督は決まっている、と話す。

それは誰なの? と聞いたレニは、黒澤明だと知らされる。

レニは、クロサワなら仕方ない、とあっさり引き下がったらしい。

出来過ぎな話だけど、シネフィルとしてはこれを事実としておきたい気が。

実際、東京オリンピックを監督したのは市川崑だったわけで、

それを知ったときのレニは、

どんな言葉を発したのだろうかと思うと興味は尽きない。

 

 

 

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人生馬鹿騒ぎの巻

2015年10月10日 | 映画など

トミー・リー・ジョーンズ監督

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を見る。

10年前の映画で、すでに忘れられた作品かもしれないけれど、

いやあ驚いた。こんなに面白い映画だったとは。

ブラックコメディかと思いつつ見ていたら、

やさぐれた心に滲みる、ロードムービーになっていて、

堪能させてもらいました。やるなトミー・リー。

 

 

メルキアデス・エストラーダとは、人の名前である。

テキサスの国境付近の街に不法侵入しているメキシコ人だ。

この男の親友がトミー・リー扮するカウボーイのピート。

常日頃からメルキアデスはピートに、

自分が死んだら、メキシコの妻子がいる街に埋葬してほしいと言っていた。

その言葉通り、メルキアデスは不慮の死を遂げてしまい、

悲嘆に暮れるピートは、誤ってメルキアデスを殺した

国境警備員のマイクを捕まえ、埋葬されていたメルキアデスの死体を掘り起こし、

メキシコにあるメルキアデスの故郷をめざして移動する。

 

馬とロバで死体を運びながら国境を越え、

その途中で盲目の老人や、不法侵入のメキシコ人たちなどと出会いながら、

腐敗が進むメルキアデスの死体と共に、オフビートな旅を続ける。

なぜピートはそこまで死体を届けるのに執着するのか、

そんなに親友のことが大事だったのか。そのあたりがよくわからないけれど、

テキサスとメキシコの国境付近の荒涼とした風景が、

ひょっとしたらピートの心情を表しているのではと思いながら、見る。

どこまで行っても砂漠とサボテン、乾いた山地と街並みが続き、

このピートという男のどうしようもない駄目さ加減と、

決して潤うことのない心の中を垣間見ることができて、たまらなく切なくなる。

 

シネフィル的な視点で言うと、

死体を持ってうろうろして、しかも舞台はメキシコで、

誰の意見も聞かず、目的のためにひたすら進む映画といえば、

サム・ペキンパーの「ガルシアの首」そのものではないかと。

そう思うと、トミー・リーがウォーレン・オーツに見えてきてしまって、

ますます切なくなっていくのでした。

だけど結末は「ガルシアの首」ほど格好良くない。切ないけど、苦い。

 

 

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アレという間に

2015年10月09日 | 日々、徒然に

夜から、久し振りな人と麦のアレを。

2年振りぐらいの再会だけど、

その前向きでリア充な生き方に圧倒される。

やさぐれたネタはないんかい、と話を掘るが、

逆にこちらが掘られてぐうの音も出ない体たらく。

世の中のすべての人がやさぐれていると思ったら間違いなのだろう。きっと。

 

 

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