Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

人生馬鹿騒ぎの巻

2015年10月10日 | 映画など

トミー・リー・ジョーンズ監督

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を見る。

10年前の映画で、すでに忘れられた作品かもしれないけれど、

いやあ驚いた。こんなに面白い映画だったとは。

ブラックコメディかと思いつつ見ていたら、

やさぐれた心に滲みる、ロードムービーになっていて、

堪能させてもらいました。やるなトミー・リー。

 

 

メルキアデス・エストラーダとは、人の名前である。

テキサスの国境付近の街に不法侵入しているメキシコ人だ。

この男の親友がトミー・リー扮するカウボーイのピート。

常日頃からメルキアデスはピートに、

自分が死んだら、メキシコの妻子がいる街に埋葬してほしいと言っていた。

その言葉通り、メルキアデスは不慮の死を遂げてしまい、

悲嘆に暮れるピートは、誤ってメルキアデスを殺した

国境警備員のマイクを捕まえ、埋葬されていたメルキアデスの死体を掘り起こし、

メキシコにあるメルキアデスの故郷をめざして移動する。

 

馬とロバで死体を運びながら国境を越え、

その途中で盲目の老人や、不法侵入のメキシコ人たちなどと出会いながら、

腐敗が進むメルキアデスの死体と共に、オフビートな旅を続ける。

なぜピートはそこまで死体を届けるのに執着するのか、

そんなに親友のことが大事だったのか。そのあたりがよくわからないけれど、

テキサスとメキシコの国境付近の荒涼とした風景が、

ひょっとしたらピートの心情を表しているのではと思いながら、見る。

どこまで行っても砂漠とサボテン、乾いた山地と街並みが続き、

このピートという男のどうしようもない駄目さ加減と、

決して潤うことのない心の中を垣間見ることができて、たまらなく切なくなる。

 

シネフィル的な視点で言うと、

死体を持ってうろうろして、しかも舞台はメキシコで、

誰の意見も聞かず、目的のためにひたすら進む映画といえば、

サム・ペキンパーの「ガルシアの首」そのものではないかと。

そう思うと、トミー・リーがウォーレン・オーツに見えてきてしまって、

ますます切なくなっていくのでした。

だけど結末は「ガルシアの首」ほど格好良くない。切ないけど、苦い。

 

 

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