沢木耕太郎「オリンピア ナチスの森で」(集英社文庫)を読む。
1936年、ナチス政権下のベルリンで開かれた
第11回のオリンピックの記録映画「民族の祭典」と「美の祭典」に
映し出された、当時の日本人アスリートたちと、
この映画を監督したレニ・リーフェンシュタールをめぐるノンフィクション。
本書を読むきっかけになったのは、
最近、初めてレニの「民族の祭典」と「美の祭典」を見る機会があって、
その健康的で美的な映像に驚き、
かつ、スクリーンに映し出されるアスリートが
勝者と敗者に分かれるさまに興味を抱いたからだ。
語り部(沢木)が、ドイツまでレニに会いに行くところから始まり、
メダルを獲った日本の競泳や陸上の選手たちの、
勝負の明暗を分けた瞬間を、彼ら彼女らの証言をからめて
スリリングに描写していくところは、さすがの沢木節。
マラソンで金メダルに輝いた孫基禎は、朝鮮人なのに、
日韓併合により日本人として出場。表彰式でも日章旗が上がるという
出来事もあり、それはそれは複雑な思いがあったに違いなく、
そのあたりもかなり踏み込んで書かれていて、
相当な時間と労力のかかったノンフィクションだと思う。
沢木の会ったレニは、かなりの高齢だったにもかかわらず、
確固とした信念とアーティストとしての自負をまとった人として描写される。
ナチスに加担したという嫌疑は死ぬまで晴れなかったようだけど、
とてつもない意志の強さがあったから、あんな美しい映画が撮れたのだろうと想像する。
レニを始め、当時のアスリートはほぼ鬼籍に入っていることからも、
貴重な歴史的資料としての価値は高いと思う。沢木作品の中ではマイナーだけど。
作中、沢木が「眉唾」だと書いているけど、
レニが戦後、来日した際、
ベルリンオリンピックのときに知り合った
日本のアスリートに、今度の東京オリンピックの記録映画の監督に
自分を推挙してくれないかと頼んだというのだ。
しかし、そのアスリートは、
残念ながら、もう監督は決まっている、と話す。
それは誰なの? と聞いたレニは、黒澤明だと知らされる。
レニは、クロサワなら仕方ない、とあっさり引き下がったらしい。
出来過ぎな話だけど、シネフィルとしてはこれを事実としておきたい気が。
実際、東京オリンピックを監督したのは市川崑だったわけで、
それを知ったときのレニは、
どんな言葉を発したのだろうかと思うと興味は尽きない。
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