Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

ハムカツがエビデンスを凌駕した日

2024年01月11日 | 読んでいろいろ思うところが
村上靖彦「客観性の落とし穴」
(ちくまプリマー新書)を読む。
仕事に追われていても、満員電車の中でも、
眠くて仕方がなくても、ハムカツにうつつを抜かしても、
やめられずに一気読み。


「先生の言ってることに客観的な妥当性はあるのですか?」
著者は教え子にそう問いかけられたことから、
客観性とか数値とかエビデンスへの信仰が強い
今の世の中に異を唱えている。

確かに「エビデンス」を問われることが
仕事をしていてもときおりあるし、
客観性を追求すればするほど、息苦しくなるのは、
すべてを数値に置き換え、あるところから
「ここから上は善で、下は悪」という価値観が
まかり通っているからだと想像するのはたやすい。

著者は社会学や人間科学の専門家で
おもに質的研究をおこなってきた研究者だ。
どうしたって人間は「白か黒か」「ゼロか百か」
で分けられるものではなく、
ものすごく細かいグラデーションのなかに
混沌として存在しているわけで。
いくつか紹介されている質的研究の実例から、
人の経験の生々しさが浮かび上がってきて、息を呑む。

うつ病で薬物依存だった母親を持つ少年の語りから、
自分の置かれたかつての境遇について、
「それが普通だった」と述懐しながらも、
「今思うと普通じゃなかった」と認知し、
さらに「でも世間一般で言う普通って何だろう」
と「普通」の概念について自問自答する。
ついに「母親に育てられて良かったと思う」
と断言する少年の言葉は支離滅裂だが感動的だ。

著者はこの少年のような
経験の生々しさをすくい上げることによって、
客観性は大事だが、もうすこし曖昧にグレーに
物事をとらえ、それをちゃんと受け止める大切さを説く。

「数字で示してもらえますか」
「エビデンスはあるんですか」
「それって個人の感想ですよね」

そんな言い方に惑わされるのではなく、
大切なことを忘れてませんか、という本。
ハムカツを嬉々として食しながらも、
成人病になったらどうしよう、
と戦々恐々とする輩(自分、だ)がいても
人間らしくていいじゃないですか。ダメですか。


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