布川事件の話をするとき、巡礼の話をするし、何度もCD作成の録音をしたことも話す。
子供のころ、歌謡曲を聴くたび、すぐに唄えるように覚えたし、2回聴けば歌詞も含めて記憶出来た。勉強も何も自信はなかったが、歌だけは自信があった。でも、極端な恥ずかしがり屋だったものだから、ほとんど人前では唄わなかった。もし冤罪に出会わなかったらばカラオケブームの中で、きっと美味しい思いをしたと思う。
29年間の沈黙の時間で、途中から刑務所の歌謡クラブで唄ったりはしたが、声が抜けないと言うか、何かが喉に被さったようで逮捕されたころのように唄えたことはなかった。
それでも社会に帰って唄う機会が増えたことから、それなりには満足する声が出るときもあった。だから、自分の声で唄うCDを作ることにしたのだが、実際に録音してみると自分で思っている歌声とは違い過ぎた。それで何回も録音に行く結果になった。四国巡礼をする中で、自分の思う歌声と違うのは、単純に下手だからだと悟ってしまった。作るか、止めるか、それなりに悩んだけれども、そのCDも闘いの一手段と割り切って出すと決めた。
色々な人の手に渡り始め、批評も届き始めたが、俺に作曲をさせる切っ掛けをくれた佐藤光政さんからは、過分なお褒めを頂いたし、俺の歌には辛口な水戸の人からも、いいよぉ!!と言って頂いた。
嬉しいねぇ。
お大師さんには「大したことはないよ」と、釘をさされたけども、大したことはないことを自覚した上で、俺の闘いの手段として、皆さんのお褒めを素直に受け止めて力にして頑張ります!
子供のころ、歌謡曲を聴くたび、すぐに唄えるように覚えたし、2回聴けば歌詞も含めて記憶出来た。勉強も何も自信はなかったが、歌だけは自信があった。でも、極端な恥ずかしがり屋だったものだから、ほとんど人前では唄わなかった。もし冤罪に出会わなかったらばカラオケブームの中で、きっと美味しい思いをしたと思う。
29年間の沈黙の時間で、途中から刑務所の歌謡クラブで唄ったりはしたが、声が抜けないと言うか、何かが喉に被さったようで逮捕されたころのように唄えたことはなかった。
それでも社会に帰って唄う機会が増えたことから、それなりには満足する声が出るときもあった。だから、自分の声で唄うCDを作ることにしたのだが、実際に録音してみると自分で思っている歌声とは違い過ぎた。それで何回も録音に行く結果になった。四国巡礼をする中で、自分の思う歌声と違うのは、単純に下手だからだと悟ってしまった。作るか、止めるか、それなりに悩んだけれども、そのCDも闘いの一手段と割り切って出すと決めた。
色々な人の手に渡り始め、批評も届き始めたが、俺に作曲をさせる切っ掛けをくれた佐藤光政さんからは、過分なお褒めを頂いたし、俺の歌には辛口な水戸の人からも、いいよぉ!!と言って頂いた。
嬉しいねぇ。
お大師さんには「大したことはないよ」と、釘をさされたけども、大したことはないことを自覚した上で、俺の闘いの手段として、皆さんのお褒めを素直に受け止めて力にして頑張ります!