桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

口頭弁論期日

2014-06-12 | Weblog

昨日は裁判だった。第6回口頭弁論。

民事は、大体が書面の遣り取りで、公判廷では「何号書面云々」などとやるばかりで、法廷にいる者は、何をどうしているのか、さっぱり判らないことが多い。

昨日の、裁判長を中心に、何たらかんたらやっていたが、判るはずがない。でも、その後も集会で弁護士さんの話を聞いて、皆さんが今、現在の状況を理解してくれたし、私も良く判った。何しろ、裁判の当事者である私も判らないのだから、皆さんが判るはずがない。

布川事件国賠の根本的な問題部分は、被告・検察・国の「公訴事実と矛盾する信用性の高い証拠を持ちながら法廷に提出しなかったことにより裁判所を誤った判断に導いたとすれば、公正かつ誠実な訴訟遂行とは言えない場合もあることは認める。ただし、このことと刑事訴訟法上、国賠法上の違法の有無とは同列に論じることはできない」と、自分たちの責任を否定する論にある。

昨日も、弁護士さんが「検察官が公益の代表として背負う真実義務がある。公正な裁判所の迅速な裁判を受ける被告人の権利を認めた憲法37条からも、検察官には公訴事実と矛盾する証拠を法廷に提出する義務がある」と批判されていたが、「裁判所に信用性の高い控訴に矛盾する証拠を提出しない」と言うことは、無実の証拠を隠す、ということだ。無実の証拠を隠しても「国賠法上の違法の有無と同列ではない」とは、どういうことなのだろうか。

ここに問題がある。何をしても責任を問われないと言うことと同じだろうが、この無責任さが、今までに多くの冤罪を作り出した原因があるだろう。

検察官が証拠を独占し、自分たちが「有罪と決めたらば無実の証拠を隠してきた」からこそ、私も有罪にされた。袴田さんもだ。こんなことが許されるはずはない。

検察官の無責任を俺は許さない。そして、社会も許すはずはない。もっともっと多くの国民に、この検察・国の「傲慢な主張」を知らせて、検察庁の出鱈目さと、冤罪作りを正したい。