法制審議会で、警察の求める盗聴自由化を認め、ほんの1部の可視化を実現させたいと考える人たちは、「毒饅頭を食べても前に進むべき」と思うらしい。
毒饅頭?
毒饅頭は死ぬし、死んだらば終わりでしょ?毒饅頭で1部可視化??
その思考が理解出来ない。ある人と話して、なぜ1部可視化で容認するのか、と聞いてみた。盗聴自由化を許せば、社会の自由が死ぬ、毒饅頭をゆるしてはいけない、日弁連は席を立つべき、と。
言ったね、ここで席を立てば法案は流れる。可視化の芽を摘んでしまう。
俺は言った。違う、法案が流れて困るのは警察に検察だ。社会が可視化をしないことを許すはずがない。
「社会は、そんなことには無関心、応えない」
ってから言った。それは真理の力と国民の意識に信頼がないだけではないか。
「国民に闘う力など、あり得ないですよ。そんな運動な力など、どこにあるんですか」
それならば仕方ない。日弁連は毒饅頭を飲んで社会の自由を殺せばいいですね、で、議論は終わった。
街に監視カメラを張り巡らせ、我々を可視化する警察が、更に国民を監視する盗聴自由化なんて、どこから許せることなのか、と怒りを感じたが、「当事者主義」として検察官の証拠独占を疑うことなく許して来たのは、こういう弁護士たちがいてなのだ、と判ったなぁ。
全面可視化と全面証拠開示は、必ず実現する。それが正義であり、正義を実現する司法こそ、国民の望みであって法理だからだ。
日弁連が警察と検察に妥協し、毒饅頭を飲めば、それは弁護士も含めて権力に異を唱える人は監視され、冤罪も増える。でもさ、その抑圧が反撃の力を生むことも必然だ。何時かは、私生活を監視し、プライバシーを破壊する盗聴自由化は破棄され、人権に関わる警察や検察の行為こそが監視して可視化されるべきとなって実現する。ただ、その日が2年後になるか、50年後になるか、その違いだけだ。
どっちにしても社会は進歩する。江戸時代、明治、大正、昭和、平成、進んで来た。問題はあっても個人の権利や命が大切にされる時代になっている。その進歩を生む人間の意思と行動に信頼をおけるか、おけないか、それの違いだ。
さて、お立ち会い、あなたは、どっち?
毒饅頭?
毒饅頭は死ぬし、死んだらば終わりでしょ?毒饅頭で1部可視化??
その思考が理解出来ない。ある人と話して、なぜ1部可視化で容認するのか、と聞いてみた。盗聴自由化を許せば、社会の自由が死ぬ、毒饅頭をゆるしてはいけない、日弁連は席を立つべき、と。
言ったね、ここで席を立てば法案は流れる。可視化の芽を摘んでしまう。
俺は言った。違う、法案が流れて困るのは警察に検察だ。社会が可視化をしないことを許すはずがない。
「社会は、そんなことには無関心、応えない」
ってから言った。それは真理の力と国民の意識に信頼がないだけではないか。
「国民に闘う力など、あり得ないですよ。そんな運動な力など、どこにあるんですか」
それならば仕方ない。日弁連は毒饅頭を飲んで社会の自由を殺せばいいですね、で、議論は終わった。
街に監視カメラを張り巡らせ、我々を可視化する警察が、更に国民を監視する盗聴自由化なんて、どこから許せることなのか、と怒りを感じたが、「当事者主義」として検察官の証拠独占を疑うことなく許して来たのは、こういう弁護士たちがいてなのだ、と判ったなぁ。
全面可視化と全面証拠開示は、必ず実現する。それが正義であり、正義を実現する司法こそ、国民の望みであって法理だからだ。
日弁連が警察と検察に妥協し、毒饅頭を飲めば、それは弁護士も含めて権力に異を唱える人は監視され、冤罪も増える。でもさ、その抑圧が反撃の力を生むことも必然だ。何時かは、私生活を監視し、プライバシーを破壊する盗聴自由化は破棄され、人権に関わる警察や検察の行為こそが監視して可視化されるべきとなって実現する。ただ、その日が2年後になるか、50年後になるか、その違いだけだ。
どっちにしても社会は進歩する。江戸時代、明治、大正、昭和、平成、進んで来た。問題はあっても個人の権利や命が大切にされる時代になっている。その進歩を生む人間の意思と行動に信頼をおけるか、おけないか、それの違いだ。
さて、お立ち会い、あなたは、どっち?