桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ゴビンダさん

2012-06-14 | Weblog
横浜入国管理事務所へ行って、ゴビンダさんに会って来た。
前に弁護士が来ていたせいで1時間以上も待たされたが、面会室に入って来た表情が違う。
明るい!と一見して判る顔だし、重荷が払われた軽やかな顔付きだった。
あれこれと話した中で、ゴビンダさんは「裁判が終わるまで、事件のことは話さない」と言う。誰の差し金かは知らないが、釈放された冤罪者の口を閉ざさせるとは、なんなのだろう。全く理解不能だ。
本人にしか語れないことがあるし、その本人の言葉こそが冤罪を作り上げて反省しない輩を正す力ではないのだろうか。
国に帰ったらば出来るだけマスコミには対応して、悔しかったこと、辛かったこと、納得出来ないことを、正確に話すように、と言って来た。
冤罪体験者は、冤罪を作り上げり者たちを追及して闘う義務がある。
社会に帰ってからの体験を聞かせてと言ってたが、ゴビンダさんの過ごした月日は無駄にならないし、失ったことよりも得たことを考えて過ごせば、必ず良かったと思えるから、ということを話した。
きっと長い空白からの復帰に不安があるのだろうが、彼には家族がいる。きっと喪失感に苛まれようが、大丈夫だろう。
次は、ネパールでの再会かも知れないが、一件落着の安堵感で帰って来た。

ある思い

2012-06-14 | Weblog
かなり古い話だ。
どうしても30万が必要になった。
ある家に借りに行った。
玄関に出て来た家人に金が必要な理由を話して借金を頼んだが、はかばかしい返事はしなかった。すると、家の中から「いちいち貸してやる金なんか、ねえんだよ!」と、かなり大きな声がした。俺の中で身体が冷たくなる感覚が生まれ、すぐに判りましたと言って、その家を辞した。
あのときに聞こえよがしに言った人の苦境を聞いて、何でも手助けしてあげたい気持ちになっているが、そのたびに忘れていた屈辱が甦る。
あのときは、幸いにも30万を快く貸してくれる人がいて、返済期限前に返したことで俺の信用も増したから、別に何でもなかったが、身体が冷たくなるほどの屈辱感は忘れていなかった。
利根町議会が公正裁判要請決議をしてくれるとなった際、若いころに杉山に殴られた2議員の猛反対で議決出来なかったことがあった。当時は執念深い奴だと呆れたが、俺も同じかも知れないな。
もちろん、何ががあれば縁のあった人だし、俺に出来得ることはするけども、屈辱感は忘れ難いものだと思うとともに、あれからの月日に感慨無量の思いだ。
人の明日は判らないね。
だからこそ、人には親切に優しく、出来る限りのことをしなければならないと、自分を戒めている。

ゴビンダさん

2012-06-14 | Weblog
横浜刑務所から横浜入国管理事務所に身柄を移されたゴビンダさんは、いよいよ帰国も近いらしい。
もう自由になり、勝つのだし、無理して会うこともないと思ったが、まだ会うことも可能らしく、たまたま今日は会議で東京へ行くことから横浜入国管理事務所に会いに行くことにした。勝った後こそ、新しい困難が始まることを伝えてくるつもりだ。