桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

蕎麦

2009-09-22 | Weblog
今日は、昼に蕎麦を食べた。十割蕎麦。西茨城にある連れ合いの故郷辺りは蕎麦の生産地で、その店も旧七会村産使用と表記されていた。
正直に言って味は今一。香りも味も、俺が知る蕎麦には競べようがなかった。蕎麦汁がダメだったね。
それから連れ合いの故郷へ行ったので、7月に蒔いた蕎麦畑へ行ったらば、綺麗な花が咲いていた。
自分でトラクターに乗って蒔いた蕎麦の花。嬉しいような気持ちだった。

2600通

2009-09-22 | Weblog
千葉刑務所にいたときに、高橋勝子さんから貰った手紙は2600番までの数字があるが、本当は、それよりも多い。
今日は、その手紙を取材に来たので、久し振りに手にした。連れ合いの実家で畳の上に広げたが、凄いものだと、改めて思った。
俺が書いた手紙が何通になるか判らないが、その往復にあった思いは、誰も経験出来ない素晴らしい心の触れ合いだった。
この手紙を目の当たりにして、俺の幸せも再確認する思いだったね。

金木犀

2009-09-22 | Weblog
水戸に来たらば玄関に入るなり、強烈に金木犀が薫った。玄関の靴箱の上の花瓶に金木犀がいけてあった。連れ合いが実家から咲かない前に切って来たらしい。
今日は、俺が刑務所時代に貰った2600通の手紙が保管してある連れ合いの実家に、俺たちを取材している井手さんが来て、その手紙を撮影したいとのこと。彼岸の墓参りも兼ねて我々も来たらば、大金木犀が咲いて庭中に豊潤な薫りを放っていた。
初めて俺が来たころは、この金木犀は屋根よりも高かった。俺たちが結婚した後、虫が付いたせいで斬られたのだが、やっと元に戻り始めた。

2009-09-22 | Weblog
うちの兄貴は、本当にお気楽に人生を生きて来た人だが、まあ人それぞれ。それが兄貴の人生だから構わないのだが、俺がシャバに帰って来たときの会話は強烈だったな。
「なんでヤッタと言ったんだ?」
と聞くから、俺は嘘発見器や辛かった体験を話した。すると兄貴は言ったね。
「そうか。俺ならば、ヤッタことだって、ヤッテないと言っちゃうぞ」
全く噛み合わない、食い違った長い別離の時間を感じさせられたっけ。
昨年、兄貴は65歳にして再婚した。それ以来、兄嫁をクッションに頻繁に付き合いが復活したのだが、先日、連れ合いと訪ねたおり、兄が画いた絵をプレゼントされた。
兄貴は器用で、子供のころから物を造ったりするのが得意だった。鳥篭や鳩小屋など、良く造っていた。野山を走り回るタイプの俺とは違ったが、貰った絵も、まぁ素人には上出来だった。でも、それだけ。
俺ならば貰ったままに飾るだけだが、連れ合いは新しい額を買い、絵を引き立たせると言う。
ひたちなか市にあるジョイフルホンダに行き、額を買ったが、また連れ合いは凝るんだなぁ。どれでも同じだよ、この程度の絵!なんて思う俺を尻目に、あれだこれだとやり、こんな絵になった。
多分、兄弟だけなば兄との付き合いは切れていたかも知れないが、互いの連れ合いを通して兄弟の関係が復活しつつあるこの頃だ。