桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

産経新聞

2009-09-03 | Weblog
言わずと知れた自民党応援団。その右翼ぶりは有名だが、記者が総選挙結果に付いて、民主党の自由にさせない、初めて産経新聞が下野、などとインターネットに書いて批判された記事があった。
なぜ批判されたのか判らないよね、正直な感想だし。それよりも驚いたのは、その記者を注意した産経新聞広報の談話だね。
「不偏不党の一貫した姿勢に変わりはない」だって。冗談がきついよね。
産経新聞が不偏不党なんて、誰も思うまい。こんな建て前を言って恥じないんだから、日本のマスコミは自民党なみに腐ってる。もっとも、だから応援団の産経新聞なんだろうけどね。

どっちがおかしい?

2009-09-03 | Weblog
裁判員制度は違憲だと訴えた弁護士がいた。
確かに、この制度は瑕疵、欠陥が多くて、この弁護士が主張する通りに公開が原則の裁判なのに非公開で争点を絞るのはおかしい。欠陥を改めるために、どんどんと違憲裁判をして欲しいと思う。
でも、弁護士の主張の最後が判らない。
「公判では被告の障害による責任能力の有無が争点になる見込みで、裁判員の一般常識では責任能力の判断は困難」だからと言う。
俺は、裁判を社会常識から離れさせたのは、こんな考え方にあると思っている。司法試験に合格すると、総ての問題を理解して判断する能力が得られるのだろうか?
何のために鑑定の専門家がいるのだろう。専門家がいるのに、その意見を司法試験合格だけの能力人間が、あたかも総てを見通し、理解するごとくに無視して判断するのを、俺は沢山見てきた。判らないことがあるという謙虚さを失った裁判官が誤判を生み出しているが、その思考は裁判所を囲む全体にあると考えさせる違憲裁判だなと思ったが、俺が歪んでるかな?