ながさんの新聞から
俵万智さんの言葉が連なり。
そして
風フェスを始めた頃を
思い出していました。
今でも
この句を詠むと。
涙が出てきます。
それくらいに
活動を始めた頃の
心の傷といいますか。
周りからの圧力は
癒されるまでの時間は
かかるのだろうと思いますし。
もしかしたら
癒されることもなく
それが
原動力になっている
のかもしれません。
「子を連れて
俵万智さんの言葉が連なり。
そして
風フェスを始めた頃を
思い出していました。
今でも
この句を詠むと。
涙が出てきます。
それくらいに
活動を始めた頃の
心の傷といいますか。
周りからの圧力は
癒されるまでの時間は
かかるのだろうと思いますし。
もしかしたら
癒されることもなく
それが
原動力になっている
のかもしれません。
「子を連れて
西へ西へと逃げてゆく
愚かな母と
言うならば言え」
「まだ恋も
知らぬ我が子を
思うとき
『直ちには』とは
意味なき言葉」
そんなことを
振り替えりさせてもらうきっかけも
ありがたい。
また
1ヶ月後に風フェスが始まります。
どんなことが起きても大丈夫。
そんな信頼感を共に。
愚かな母と
言うならば言え」
「まだ恋も
知らぬ我が子を
思うとき
『直ちには』とは
意味なき言葉」
そんなことを
振り替えりさせてもらうきっかけも
ありがたい。
また
1ヶ月後に風フェスが始まります。
どんなことが起きても大丈夫。
そんな信頼感を共に。
僕もあらためて、職人の記事から思い出して、ずっと考えてました。
心の傷。ぐっとせまる、あの時の思い。
真剣だからこそ、なりふりかわまないこそ、
思い切り壁にもぶつかって、ボロボロになって。
それでも、今がある。
風フェスとともに、職人の人生が今もある。
やらなかった選択があったのか。
または、辞めるという選択も、誰も文句は言わないでしょう。
それでも、やりつづけたこと。
笑いたければ笑え。
なんとも強く刺さる言葉なのか。
あざけるならあざければいい。
罵るなら罵ればいい。
それでの目の前の、自分の選択を信じて。
西へ西へ。
その先にあるものは、10年先、20年先の未来。
そんなことを思いながら、俵万智さんの句を噛み締めてます。
城山って、長い長いくねり道。
くねくね登って、山頂へ。
そこでお疲れ様と迎えるホテルと、
遮ることのない桜島が目の前にドンと。
鹿児島市は、どこでも桜島がみえてました。
中央駅、かつては鹿児島西駅も、桜島を見るたびに帰ってきた!と思ったものでした。
それが。鹿児島にゆかりのないビルがどんどん立ち並び、桜島をさえぎりました。
同級生は憤慨してました。鹿児島の誇りをなんで遮るのか。ホテル宿泊者の窓の側から見れれば、それでいいのか!ってね。
今や、新幹線が止まることに喜んで、誤魔化されて、それも時代が過ぎて・・。誰も乗らない駅の巨大な観覧車も、虚しく回り続けているのです。
城山ホテルは60年間守り続けてきました。
個展を開いた山形屋は、百貨店としてはオープン107年、創業西暦1751年といいます。
玉川堂も200年以上、守り続けて、革新し続けて生き残る。
そんな長い長い時代の一部として、我々は精進しているのだとおもうと感慨深いです。
我々もあと長く生きれて40年か。
あっという間に過ぎて行くこの生を、笑われても、一途に続けて行く。
中越地震のボランティアだって、笑われましたよ。
3日間、仮説に通いました。
「たかが3日で帰ってきたのか!」って笑われました。
ボランティアって、そんなもんかってね。
僕だって、後ろ髪引かれる思いで。バスに乗った。
三日が生活の精一杯。
それが、職人と20年のご縁を結んだわけですから。
笑いたければ笑え。
きばっていきましょう。