名も無き職人。
父のことを思うと
この言葉が
ぴったりくるのです。
玉川の家に
中学に養子格で入り。
名前は旧姓
大橋のままで
寮に入り育った父は
どんな青春時代だったのだろう
と想像したりします。
勉強をしたかった
のだろう
とゆうことは
母の話からも伺えて
毎年新聞に載る高校受験の問題を
いつも解いていたとか。
兄たちは
玉川堂六代目
木目金人間国宝
と続き
名も無き職人の父。
私は
その父の存在があるからこそ
従兄弟の中で
あふれる情熱で
留まることを知らない
のだろうと思います。
たとえ
自分の代で終わりになったとしても。
名も無き職人としての
父からの血を
私受け継ぎ鎚起銅器の世界で生きてゆく
それこそが
1番の恩返しだと思いながら。
新潟に帰って
走り出した日々。
この本は
プロダクトとしても
しっとりとしていて
凛としていて
色気があるものになっている
ように思います。
手に触れて
文章を読んで。
この本が広がることで
私の恩返しの一歩一歩も
実ことを願い。
父のことを思うと
この言葉が
ぴったりくるのです。
玉川の家に
中学に養子格で入り。
名前は旧姓
大橋のままで
寮に入り育った父は
どんな青春時代だったのだろう
と想像したりします。
勉強をしたかった
のだろう
とゆうことは
母の話からも伺えて
毎年新聞に載る高校受験の問題を
いつも解いていたとか。
兄たちは
玉川堂六代目
木目金人間国宝
と続き
名も無き職人の父。
私は
その父の存在があるからこそ
従兄弟の中で
あふれる情熱で
留まることを知らない
のだろうと思います。
たとえ
自分の代で終わりになったとしても。
名も無き職人としての
父からの血を
私受け継ぎ鎚起銅器の世界で生きてゆく
それこそが
1番の恩返しだと思いながら。
新潟に帰って
走り出した日々。
この本は
プロダクトとしても
しっとりとしていて
凛としていて
色気があるものになっている
ように思います。
手に触れて
文章を読んで。
この本が広がることで
私の恩返しの一歩一歩も
実ことを願い。
お父様の、高校受験の問題を解いていたというエピソード一つとっても、愛すべき誠実なお人柄を感じます。
以前、トコノマ展で、息子に間接的に伝えて、トコノマの絵を欲しいと言われたこと。そしてそのお礼に、高価な打ち出しの湯沸かしをいただいたこと。
あの頃の僕には、とても釣り合いが合わないと思ってましたが。日々、あの湯沸かしで珈琲をいれ、乳飲み子のミルクを入れ、風邪薬用の白湯を入れ・・。生活に馴染んでいます。
我が歴史に寄り添うように、ひっそりと静かに在る湯沸しの姿が、お父様と重なります。
多くを語らず、その器で語る。その血は色濃く受け継がれ、時にSNS的な人間関係のこの時代、酒を浴びるほどの恋がいくつも終わる姿も見てきました・・。
それでも、血というもの以上に、人間として、受け継がれてきたものは、肉親親戚の枠を通り越して、日本全国、またヨーロッパに、鎚起銅器を伝えることにも繋がったのでしょう。それはまさしく、誰にもなし得なかったことです。
蛇足ではありますが、私の父も、名もなき植木職人でした。まさしく、戸籍もないほどに現代社会に消された人でした。
しかし、父の遺品には、採れた野菜をスケッチした手紙が残されていました。彼だって、画家の夢を断念した。そして息子が同じ道を歩むことを全力で止めた。
きっと、家族を愛し、自分の歩んできた技を伝えたかったのでしょう。それは失われてしまいました。
しかし、技よりも大切なことを受け継ぎました。神主の家系が途絶えても、植木の技術が失われても、僕の中には、その父の光と影が色濃く存在しています。
墓石となる御本。しかし、その墓石は、職人の気配を消して、より自由に、透明に、身軽なものとして動き続け、伝わり続け、心に訴え続ける。
ものづくりの人間の墓石とこうあるべき、と心が震えて、肝心な封を開け切れておりません・・笑。
これからも、ますますのご活躍を祈っております。
いつかまた、お父様にもお会いできることを。