好きな事 嫌いな事

普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

逃げた小鳥

2007-01-12 21:49:51 | ひとりごと。
子供の頃、小鳥を飼っていた。

黄色の、セキセイインコ。ぴーちゃんといいました。

人の口真似もして、「ぴーちゃんいいこね」「むかしむかしあるところに。」
などと、覚えてしまって、ちょっとしわがれ声でよくおしゃべりしていました。

「手のり」でもあり、カゴの入り口をあけると、手のひらにぴょんと飛び乗ってくる。
手にのると、最初ぽとり、と少し重い。そして、あたたかい。
たたたたたっ!と腕づたいに駆け上り、肩を通って、首のうしろを周り、
反対側の腕を降りてくる。それを何回も繰り返すのです。「ぴーちゃんのひとまわり」。

楽しくて面白くて、くすぐったくて、毎日ぴーちゃんと遊んでいました。
お水やエサの世話、新聞紙を取り替えること、それも私の仕事。
カゴのお掃除をして、水あびのお皿を洗って、きれいなお水を入れてあげると、すぐに飛び込んで水浴びを始めたぴーちゃん。
青菜をすごい勢いで食べる。元気いっぱい。
そういうことを通して、月並みだけど、子供ながらに「生命」を感じたり、「責任感」みたいなものも育っていったのか、と思う。


ところがある日、ぴーちゃんが飛んでいってしまった。
いつものようにカゴから出して、「ぴーちゃんのひとまわり」をさせて遊んでいたところ、いきなり、ぱたぱたぱた!と飛んで、少しだけ開いていた窓から、外へ飛んでいってしまいました。

あっと思うまもなく。

「ぴーちゃん、ぴーちゃん!」と呼びながら窓から身をのりだしたけれど、(2階でした)もうぴーちゃんの姿はなく、青空が広がって、白い雲が流れていくばかり。

私は泣きそうになり、つっかけサンダルをはいて外へ飛び出しました。
そして、家の前の道を、「ぴーちゃん!ぴーちゃん!」と呼びながらどんどん走っていきました。

そこまでは記憶がはっきりしているのですが、そのあとはというと

私は「迷子」になってしまって、駅前の八百屋さんに保護されて、祖母と一緒に家に帰ってきたそうです。
泣きながら祖母と一緒にどこかの道を歩いていたのはなんとなく覚えています。

祖母が鳥好きな人で、十姉妹やカナリヤなど、いろいろな小鳥を飼っていました。
初めて、私が世話をまかされたのがぴーちゃんだったのです。


「逃げるはずがない」と思い込んでいたぴーちゃん、そんなことは思いもしなかった。
これっぽっちも。
永遠にうちのぴーちゃんだと思っていた。
こんなにお世話をしてあげてるのに。いっぱい遊んであげているのに。
どうして飛んでいってしまったのだろう?

空っぽの鳥カゴを見ながら、私は、「どうして、どうして」と思っていた。

「支配」したつもりになっていたけど、人は「支配」などできないし、する権利もないのだ。どんな小さな命であっても。

ぴーちゃんには、大空へ飛んでいく自由があったのだ。私が快適だと思っていたカゴに戻ってくることなく。

・・・小さな小鳥って、高く飛んでしまうと、上昇気流などにのっかってしまって、
下のほうへ降りてこられずに、かなり遠くまで運ばれてしまう、という話を聞いたことがある。
たぶん、ぴーちゃんも・・・どこか、遠くへ飛んでいってしまったのだろうな。
逃げたインコが繁殖しているとのニュースも見たことがあるけれど、ぴーちゃんの子孫・・・かもしれない・・・

画像は、京都へ旅行した伯母が送ってくれたお漬物。(ちょっとぼやけちゃって・・・よく撮れてませんが) 
千枚漬けやすぐきなど、何種類も入っていたのですが、既に半分ほどいただいてしまいました。
おつけもの、大好き!特にこの「西利」のものは、最高です~!
あったかいごはんに、お海苔と、おつけものと、しゃけかたらこがあれば、それで十分!加えて納豆と玉子とハムなども。(って結構あるよね)

で、ぴーちゃんとお漬物となんの関係が?→ぴーちゃん、お漬物好きだったんです。
インコって割りと雑食だったように思います。なんだか、あじの干物とかも食べてた。


・・・もう一度、飼いたいな。小さな、手のりインコ。


鳥インフルとかまた新聞に載っていたけれど、がんばれ!養鶏場のみなさん!
(鳥つながり で、応援します)

(^^)/~~~














コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする