長女:にこちゃんがピアノの楽譜がほしいというので、
ピアノピースの裏側を見せて、「ほしい曲の番号をメモしておいてね」と言ったら、
「これとー、これと、あと、これ。」などと言ってメモしている。
私がためこんでいたピースをあれこれ引っ張り出しては、「わぁ~こんなのがある」
「えっママこれも弾けるの?」などと言っている。
・・・全部は弾けません。弾けたらいいな、と思って買っただけのもあります。
「ラ・カンパネラ」なんて、フジ子ヘミングのCD買ってからついでに買っちゃった^^; 意気込んで練習してみたけど、
・・・最初の方でとっとと挫折しました。
これは聞いてるほうがいいよ、ぜったい。たははは(^_^.)
楽譜が読める、というのは一つの言葉が読める、ということなのだと思います。
弾けなくても、楽譜を読みながら、音楽を聴く楽しみ、もあります。
演奏者によって、ずいぶん解釈も違います。
オーケストラのスコアも面白いです。(楽譜売り場に売っている、)
「あっここで鳴るのかティンパニが、ドーンと、ね、あ、ほんとだ。なるほど」などと、音を目で見て感じられるのも楽しいです。
で、にこちゃんが一番好きなのは?と聞いたら
シューマンの「飛翔。絶対に、飛翔」とかたくな、なので「なんで?」と聞いても
「なんでだかわかんないけど、だってそうなんだもん。」とのこと・・・・・
「ピアノ名曲50選」のCDの中で、一番好き、と言うのですが。
ちょっと、びっくりしたんです
なぜかというと、
にこちゃんが産まれる前に、一生懸命練習していた曲が、その「飛翔」という曲なのです。
結構難しいのだけど、どうにかこうにか弾いていました。
それから、「飛翔」の次に好きなのは?と聞いたら、ショパンの「ノクターン」と言うし、
これもびっくり
「飛翔」の前に練習していた曲は、ノクターンなのです。
私「にこちゃんが産まれる前にこの2曲を弾いてた」ことは、一度も話したことがな
いし、この2曲をにこちゃんの前で弾いたこともないです。
出産のあとは、ぱったりピアノはやめてしまいました^^; もう、指も動かないです。
それなのになぜ?単なる偶然?親の好みは子どもも似るってこと?
まあ、そんなところなのでしょうけど、ちょっとびっくりしました。
それから、この長女にこちゃん、ピアノを習い始めた5歳の娘に、
「ここは二分音符だからしっかり伸ばして!」などと、いろいろ教えたりしているのだけど、
「ねえねえ(長女のこと)は、どうしてそんなにピアノ弾けるの?」
と下の子が聞くと、なんだか、胸を張って、
「だってあたし!ママに教えてもらったんだもん!」と答えたのです。
私、教えた覚えなんてないんです。
ヤマハ音楽教室に連れてってたけど、うちでもちょこっとは練習させたけど、
まあ、少しは教えたかもしれないけど・・・忘れちゃったよ。
でもなぜか、これを聞いて、ちょっとうるうるしてしまいました。
子どもが、胸をはって、「ママに教えてもらったんだ」と言えることを持っているというのは、
手前味噌で大変恐縮ですが・・・、とてもいいことだ、と思った次第です。
ママでなくても、パパでも、おじいちゃんでも、おばあちゃんでも、誰でもいいから、
信頼のおける周りの大人が、しっかりと向き合って何かを伝える。
それが、小さい心の中に、しっかり刻まれる。思い出となる。体験や、技術となる。
ああ、こういうことが、本当の意味での「教育」なんだな、と思いました。
教えて、育てる、ことなんだな。
私も、小さいときに、母親に「三つ編み」のやり方を教わって、できたときには嬉しかった。
冬のある日、母親とコタツに入りながら、コタツのうわがけの房を使って練習した、その光景まで覚えてます。
そんな、小さいことも、自分が母親になった今でも覚えています。
私が知っていることは、どんな小さいことでも娘たちに伝えよう、教えてあげよう、と、気持ちを新たにした出来事でした。(・・・悪いことはダメよん(*^。^*))
PS
でも、ピアノでもったいないなと思うのは、ある程度弾けるようになっても、やらないと全然弾けなくなること。
自転車なんて、一度乗れるようになると、何年も乗らなくても、すぐまた乗れるし。
どうしてなんだろう?水泳もそう。
なんでも、大きな筋肉で覚えたことは忘れないけど、小さな筋肉で覚えたことはできなくなる、という話を聞いたことがあります。
小さな筋肉って・・・ま、確かに手、や指先って、小さいよね・・・。ちょっと、淋しいですけど。練習、大変なんだけどな、ピアノ。
また弾けるようになりたい、と思って、今練習しているのが
にこちゃんから借りた「荒野のバラ」。可愛らしい、綺麗な曲です。
ちょっと、発表会ちっく(^_^.) でも、小6レベルでOKなのが何よりです。
ラ・カンパネラ(つりがね草)はムリでも、こっちでいくわよ!「花」ってことでは同じ、よね!
ピアノピースの裏側を見せて、「ほしい曲の番号をメモしておいてね」と言ったら、
「これとー、これと、あと、これ。」などと言ってメモしている。
私がためこんでいたピースをあれこれ引っ張り出しては、「わぁ~こんなのがある」
「えっママこれも弾けるの?」などと言っている。
・・・全部は弾けません。弾けたらいいな、と思って買っただけのもあります。
「ラ・カンパネラ」なんて、フジ子ヘミングのCD買ってからついでに買っちゃった^^; 意気込んで練習してみたけど、
・・・最初の方でとっとと挫折しました。
これは聞いてるほうがいいよ、ぜったい。たははは(^_^.)
楽譜が読める、というのは一つの言葉が読める、ということなのだと思います。
弾けなくても、楽譜を読みながら、音楽を聴く楽しみ、もあります。
演奏者によって、ずいぶん解釈も違います。
オーケストラのスコアも面白いです。(楽譜売り場に売っている、)
「あっここで鳴るのかティンパニが、ドーンと、ね、あ、ほんとだ。なるほど」などと、音を目で見て感じられるのも楽しいです。
で、にこちゃんが一番好きなのは?と聞いたら
シューマンの「飛翔。絶対に、飛翔」とかたくな、なので「なんで?」と聞いても
「なんでだかわかんないけど、だってそうなんだもん。」とのこと・・・・・
「ピアノ名曲50選」のCDの中で、一番好き、と言うのですが。
ちょっと、びっくりしたんです
なぜかというと、
にこちゃんが産まれる前に、一生懸命練習していた曲が、その「飛翔」という曲なのです。
結構難しいのだけど、どうにかこうにか弾いていました。
それから、「飛翔」の次に好きなのは?と聞いたら、ショパンの「ノクターン」と言うし、
これもびっくり
「飛翔」の前に練習していた曲は、ノクターンなのです。
私「にこちゃんが産まれる前にこの2曲を弾いてた」ことは、一度も話したことがな
いし、この2曲をにこちゃんの前で弾いたこともないです。
出産のあとは、ぱったりピアノはやめてしまいました^^; もう、指も動かないです。
それなのになぜ?単なる偶然?親の好みは子どもも似るってこと?
まあ、そんなところなのでしょうけど、ちょっとびっくりしました。
それから、この長女にこちゃん、ピアノを習い始めた5歳の娘に、
「ここは二分音符だからしっかり伸ばして!」などと、いろいろ教えたりしているのだけど、
「ねえねえ(長女のこと)は、どうしてそんなにピアノ弾けるの?」
と下の子が聞くと、なんだか、胸を張って、
「だってあたし!ママに教えてもらったんだもん!」と答えたのです。
私、教えた覚えなんてないんです。
ヤマハ音楽教室に連れてってたけど、うちでもちょこっとは練習させたけど、
まあ、少しは教えたかもしれないけど・・・忘れちゃったよ。
でもなぜか、これを聞いて、ちょっとうるうるしてしまいました。
子どもが、胸をはって、「ママに教えてもらったんだ」と言えることを持っているというのは、
手前味噌で大変恐縮ですが・・・、とてもいいことだ、と思った次第です。
ママでなくても、パパでも、おじいちゃんでも、おばあちゃんでも、誰でもいいから、
信頼のおける周りの大人が、しっかりと向き合って何かを伝える。
それが、小さい心の中に、しっかり刻まれる。思い出となる。体験や、技術となる。
ああ、こういうことが、本当の意味での「教育」なんだな、と思いました。
教えて、育てる、ことなんだな。
私も、小さいときに、母親に「三つ編み」のやり方を教わって、できたときには嬉しかった。
冬のある日、母親とコタツに入りながら、コタツのうわがけの房を使って練習した、その光景まで覚えてます。
そんな、小さいことも、自分が母親になった今でも覚えています。
私が知っていることは、どんな小さいことでも娘たちに伝えよう、教えてあげよう、と、気持ちを新たにした出来事でした。(・・・悪いことはダメよん(*^。^*))
PS
でも、ピアノでもったいないなと思うのは、ある程度弾けるようになっても、やらないと全然弾けなくなること。
自転車なんて、一度乗れるようになると、何年も乗らなくても、すぐまた乗れるし。
どうしてなんだろう?水泳もそう。
なんでも、大きな筋肉で覚えたことは忘れないけど、小さな筋肉で覚えたことはできなくなる、という話を聞いたことがあります。
小さな筋肉って・・・ま、確かに手、や指先って、小さいよね・・・。ちょっと、淋しいですけど。練習、大変なんだけどな、ピアノ。
また弾けるようになりたい、と思って、今練習しているのが
にこちゃんから借りた「荒野のバラ」。可愛らしい、綺麗な曲です。
ちょっと、発表会ちっく(^_^.) でも、小6レベルでOKなのが何よりです。
ラ・カンパネラ(つりがね草)はムリでも、こっちでいくわよ!「花」ってことでは同じ、よね!