国鉄が無煙化を進めていた昭和40年代全国各地で見られたDD51も最終製造年が1978年と最も車暦が若いものでも32年、更に旅客列車の電車、ディーゼル化、非電化区間貨物列車の減少、DF200型の登場でダイヤを調べないと出会えない機関車なってしまいました。
名古屋付近でも黄金の名古屋第一機関区に配属され中央線・高山線・関西本線・武豊線・臨港線などでD51やC57など蒸気機関車を追い出し活躍していました。当時は蒸気を追い出した憎い奴という認識で記録に留めることもありませんでしたが先日庄内川の堤防に土筆摘みに行った際、久しぶりにDD51に出会うことができました。 原色ではありませんがJRF色もなかなか似合っています
重連で築堤を駆け上がってくる姿は迫力があります
轟音を響かせ鉄橋を渡って行きます
名古屋付近でも黄金の名古屋第一機関区に配属され中央線・高山線・関西本線・武豊線・臨港線などでD51やC57など蒸気機関車を追い出し活躍していました。当時は蒸気を追い出した憎い奴という認識で記録に留めることもありませんでしたが先日庄内川の堤防に土筆摘みに行った際、久しぶりにDD51に出会うことができました。 原色ではありませんがJRF色もなかなか似合っています
重連で築堤を駆け上がってくる姿は迫力があります
轟音を響かせ鉄橋を渡って行きます