1980年代から90にかけて一世を風靡した台湾ニューシネマ、日本にもファンの多いエドワードヤン(楊徳昌)、侯孝賢、アン・リー(李安)、王童などの監督を輩出してきました。非常城市がヴェネチア国際映画賞を受賞する前は日本でまだ台湾映画の評価は低かったのですが映画評論家の佐藤忠男氏が解説をするNHK教育の「アジア映画」が積極的に取り上げておりビデオに録画しておいて夜中に楽しんだりしていました。
トントンの夏休み(冬冬的假期)は侯孝賢の監督作品2作品目で1984年に公開されています。あらすじは台北に住むトントンが母親が病気入院してしまったため母親の実家である銅羅のおじいさんの家で妹と一緒に夏休みを過ごすという取り立ててインパクトのある内容ではないのですが、トントンと地元悪ガキとの交流や妹に優しくしてくれる知的障害のある村娘のエピソード、できの悪いおじさん(母の弟)と厳格なお爺さん(医師)の和解など自然の残る銅羅での一夏の物語が叙情豊かに描かれており台湾ニューシネマの中でも佳作の一つでした。また映画の最初、銅羅へ向かうシーンではまだ地上時代の台北站が舞台になっています。
山線の銅羅站 自強などは停車しないので苗栗でバスに乗り換えたほうが便利です
映画撮影当時は駅前ロータリーに小さな噴水がありトントンは台北から持ってきたラジコンカーと悪ガキの亀とを交換してしまいます
駅前食堂 麺と魯肉飯、湯青菜を食べました
お爺さんの家(診療所)日本時代の建物が今も残っています
2階の窓からは列車が眺められトントンは台北で入院中の母親を案じていました
トントンの夏休み(冬冬的假期)は侯孝賢の監督作品2作品目で1984年に公開されています。あらすじは台北に住むトントンが母親が病気入院してしまったため母親の実家である銅羅のおじいさんの家で妹と一緒に夏休みを過ごすという取り立ててインパクトのある内容ではないのですが、トントンと地元悪ガキとの交流や妹に優しくしてくれる知的障害のある村娘のエピソード、できの悪いおじさん(母の弟)と厳格なお爺さん(医師)の和解など自然の残る銅羅での一夏の物語が叙情豊かに描かれており台湾ニューシネマの中でも佳作の一つでした。また映画の最初、銅羅へ向かうシーンではまだ地上時代の台北站が舞台になっています。
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