亜熱帯天然色百科

夜市・屋台・餐廰・路地・鐡路・猫etc

最期の楽隊

2009-08-29 22:24:00 | 台湾全般
冠婚葬祭の派手な台湾ですが、高齢の方が亡くなったときは、いわゆる天寿を全うしたとして一段と派手に送り出します。

傘を持っている意味がよくわかりません

楽隊はおばちゃん中心です

バトンを持って笛を吹いているのが楽隊のリーダーです

リーダーの厚底ブーツ

この日の主役は友達のお父さん、日本統治時代に教育を受けられた方で、日本に遊びに来られた時に京都へ案内しましたら、ちょうど鴨川踊りの時期でぜひとも芸者さん舞妓さんが見たいというのでお付き合いしました、若い女の子に見送られて幸せでしょう
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名鉄揖斐線 4

2009-08-28 21:50:00 | 日本鐵路
新岐阜駅前に到着したモ770型、折り返し黒野行きとなります。
中日新聞のラップ広告車で側面には岐阜出身のQちゃん・高橋尚子の顔写真がありました
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名鉄揖斐線 3

2009-08-27 22:47:00 | 日本鐵路
黒野駅に進入するモ770型連接車、正面運転席には「長年の御愛顧誠にありがとうございました」と書いてあります。廃止を6日後に控えた2005年3月27日の夕方です。
モ770型は1987年(S62年)4編成8両が製造され揖斐線廃止後は全車が福井鉄道へ譲渡されました、資料を見てみると鉄道線内では70kmの高速運転をしていたとあり確かに結構なスピードを出していた記憶があります
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名鉄揖斐線 2

2009-08-26 20:22:00 | 日本鐵路
新岐阜からのモ780型782号が黒野駅に到着しました。冬の夕暮れは早く、ホームには明かりが灯っています。
廃止を1ヵ月後に控えた2005年2月末の写真です、モ780型は名鉄では新造から8年ほどしか稼動していませんが、全7両が豊橋鉄道へ譲渡され現在も元気で働いています
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名鉄揖斐線 1

2009-08-25 20:13:00 | 日本鐵路
揖斐線は忠節から本揖斐までを結ぶ路線で忠節⇔黒野は2005年迄残りましたが末端区間である黒野⇔本揖斐は谷汲線と同じ2001年に廃止されました。駅舎は美濃駅と同じような屋根でホームが覆われる形で昭和モダンな駅舎には喫茶店も併設されていました。廃止後も数年残っていましたが久しぶりに訪れると跡形も無く撤去されバス停だけになっていました。

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EMU100 No4

2009-08-24 21:12:00 | 台湾鐵路
EMU100が警戒塗装から登場当時の塗装に復活し、日曜のみ運転の自強1121次1120次に運用されているという情報を友人の掲示板で見かけましたので、昨日出かけてきました。ただあまりの暑さに昼間は動く気にならず夕方の台北站で北上してくる1120次を見てみようというお気楽写真ですのであまり期待はしないでください。
まずは台鐡改札口に向かう前に高鐡南切符売場の混雑振りを、日曜日夕方で長蛇の列でした
感度を上げているため粒子が粗く見苦しい写真ですいません、警戒塗装の上にクリーム色を塗りましたという感じで厚塗り(厚化粧)になっています
正面の塗り分けは見慣れていないせいか何だかのっぺりしていますが、サイドはいかにも特別急行専用車両という高級感があり日本でも採用してもらいたい配色です
1120次が出て行くと海線経由の1133次が入ってきました、日曜の18時半南下列車は満員御礼です
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CXの機内食

2009-08-23 20:31:00 | 飛機・機場・船舶・港口
GPさんから感想をいただきましたので帰りのCX531の機内食も紹介します。ビーフ照り焼きご飯ということでチョイスしたらこれでした。やはりサラダは無し、ビーフに付け合せの野菜も一切無しです。普通、ニンジンやインゲン豆のソテーが添えてあると思うのですが・・・・普段は食べないパイナップルケーキを食べてもお腹は一杯になりませんでした。(手前のコーヒーカップとフルーツの間にのぞいている黄色い包みがパイナップルケーキ)
L-1011トライスターの頃はエコノミーでもタキシング中に布おしぼりが出てきて、食事は主菜以外にパンとクラッカーにサラダ、帰国便なら茶そばがついてチーズに食後のブランデーまで出てきたんですが、今は近距離便だとビジネスでもこんなサービスは無いようです
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名鉄谷汲線 4

2009-08-22 20:17:00 | 日本鐵路
駅舎から向かって右側の線に留置されているモ755、廃止翌年の2002年(H14)に静態保存されました。
谷汲線3のモ514は2006年に静態保存されました 尚、谷汲線末期にはモ514の留置されている駅舎から見て左側の線は使われておらず自転車置き場になっていたような気がします
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我回来了

2009-08-22 19:40:00 | 飛機・機場・船舶・港口
12日から日本へ帰っていましたが昨日21日に台湾へ戻ってきました。久しぶりのCXでしたが、12日は25分遅れでプッシュバックが始まり、さぁ飛ぶぞとスロットルが開かれたところで急停止、修理スポットへ戻って延々1時間の修理。その間出てきたのは水1杯、もちろんビジネスクラスは違うでしょうけど・・・で、結局離陸したのは定刻より1時間45分遅れ、名古屋の実家へ到着したのは暮れなずむ7時前、一日仕事になってしまいました。
CX530の機内食、まるで台北⇔香港のライトミール、20数年前と比べても航空券が安くなっているくらいのためしょうがないといえますが、野菜も無し、CXの機内食が悪くなったとは聞いていましたがこれほどとは・・・・
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名鉄谷汲線 3

2009-08-19 16:47:00 | 日本鐵路
終着駅谷汲駅に保存されているモ514、同駅は1996年谷汲村が2億円を投じ谷汲昆虫館を併設する駅として建てられました。現在昆虫館は営業していますが2001年谷汲線が廃止となったことで僅か5年しか駅としての役目を果たしていません。
隣にはモ755も静態保存されています、地元の有志の方が手入れされておりきれいに保存されています
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