あれから30年も経ったのか。在り来たりだがそう思う。けれど、そんな感想を持てるのは幸せな事。この30年をあの事故に関係した多くの人たちが苦しい思いで過ごしてきたのだから。亡くなった父親や母親の歳を超えたり、記憶にはない親の事を思いながら日々を生きてきた遺児も立派な大人になったり。事故がなぜ起きたのか、それよりも7年前の修理ミスが事故原因とされているそうだが、その責任は誰がどんな形でとったのか。もっとも重すぎて誰もとれやしないか。あの後、日航はいろんな意味で苦境に立ち、改善された面は多いようだがそれでも”日航”の看板は上に掲げられている気がしてならない。先日のJRの事故も含め、乗客が望むのはただひとつ。安全運航のみ。人命を預かっての仕事の意味を身を引き締めつつ考えて欲しい。