グランプリ出場者の斡旋が変更となり,直前でメンバーの入れ替えがあった伊東温泉記念の決勝(動画)。並びは五十嵐-新田の南関東に斉藤,川村には浜口-志智で近畿中部ですが,大塚-室井の西国がこの番手で競り,藤原は単騎。
号砲と同時に川村が飛び出して前受け。番手は周回中から内に浜口,外に大塚で競り。藤原を挟んで後方から五十嵐。その五十嵐は残り3周回のバックから上昇。ホーム入口で前に出るとスローに。藤原が4番手,室井も5番手にスイッチしたのを見届け,打鐘から発進。浜口も室井の後ろにスイッチしたので川村は7番手に置かれました。バックから川村が捲るも,新田が3コーナーからは番手発進。4回転の川村もぐんぐん迫りましたが凌いだ新田が優勝。川村が2着で3着は新田マークの斉藤。
優勝した静岡の新田康仁選手は一昨年のサマーナイトフェスティバルで優勝して以降はグレードレースでの優勝はなく,記念競輪は2007年の静岡記念以来となる区切りの10勝目。力量からすれば長期の低迷に入っていたといっていいでしょう。今日は実質的な2分戦で,五十嵐がうまく駆けてくれての優勝という面は否めませんが,復活のきっかけにしてほしい優勝です。
11月25日は伯母が朝から出掛けるということで,僕が作業所まで妹を送りました。実はこの日は妹の支援のひとつ,宿泊の最初の実施日。これは知的障害者の居住および宿泊を専門に行っている施設を用いることになります。ただし,妹は作業所に行っていますので,僕が家からこの施設まで送るという必要はなく,仕事が終わったら作業所の方がこの施設まで送り,翌朝は逆に施設の方で作業所まで送ってくれるということになっています。法的というべきなのか行政的というべきなのかは分かりませんが,扱い上はショートステイであって,これは10月まで祖母が介護保険で使っていたものと,名称は同じ。1泊ですが着替えなどの準備はあり,預かってもらえるというのはこちらとしても負担が軽減するだけ楽ではありますが,別の負担もあるにはあるということになります。また,作業所からじかで施設まで行きますので,そうした荷物は作業所まで持っていくことになりますから,その点も通常の日よりもやや大変にはなります。なお,翌26日の帰りですが,金曜日というのはこれも支援のひとつとなっている家までの送りが入っていますので,荷物を持つために迎えに行くという必要はありませんでした。なお,先ほどもいったようにこれはショートステイですので,脱いだものの洗濯などは先方の施設でやってくれます。
11月29日は父の戸籍謄本と戸籍抄本を取りに区役所へ。これは相続のために必要な書類です。実は相続というのは,死後すぐに始めることもできるのですが,そうすると手続きがやや煩雑になるのです。もちろんもしも遺書があったならば,早めに手をつけるにしくはありませんが,父は生前は経済的な面はかなり気にしていたのですが,遺書はしたためていませんでした。こうした場合は死んでから3ヶ月が経過してから手をつけるというのが一般的なようです。父の最期というのは8月4日でしたから,もう3ヶ月が経過していました。この直前,たまたま父が口座を持っている信用金庫から電話がありまして,僕の方から父の死を伝え,相続の手続きに入りたいという旨も伝えました。父はあちこちに口座を開設していましたので,やるなら1度にやってしまうという手もあったのですが,何分にも初めてのことでしたから,やり方を覚えるためにも,とりあえずはこの信用金庫から手続きに入ることにしたのです。
号砲と同時に川村が飛び出して前受け。番手は周回中から内に浜口,外に大塚で競り。藤原を挟んで後方から五十嵐。その五十嵐は残り3周回のバックから上昇。ホーム入口で前に出るとスローに。藤原が4番手,室井も5番手にスイッチしたのを見届け,打鐘から発進。浜口も室井の後ろにスイッチしたので川村は7番手に置かれました。バックから川村が捲るも,新田が3コーナーからは番手発進。4回転の川村もぐんぐん迫りましたが凌いだ新田が優勝。川村が2着で3着は新田マークの斉藤。
優勝した静岡の新田康仁選手は一昨年のサマーナイトフェスティバルで優勝して以降はグレードレースでの優勝はなく,記念競輪は2007年の静岡記念以来となる区切りの10勝目。力量からすれば長期の低迷に入っていたといっていいでしょう。今日は実質的な2分戦で,五十嵐がうまく駆けてくれての優勝という面は否めませんが,復活のきっかけにしてほしい優勝です。
11月25日は伯母が朝から出掛けるということで,僕が作業所まで妹を送りました。実はこの日は妹の支援のひとつ,宿泊の最初の実施日。これは知的障害者の居住および宿泊を専門に行っている施設を用いることになります。ただし,妹は作業所に行っていますので,僕が家からこの施設まで送るという必要はなく,仕事が終わったら作業所の方がこの施設まで送り,翌朝は逆に施設の方で作業所まで送ってくれるということになっています。法的というべきなのか行政的というべきなのかは分かりませんが,扱い上はショートステイであって,これは10月まで祖母が介護保険で使っていたものと,名称は同じ。1泊ですが着替えなどの準備はあり,預かってもらえるというのはこちらとしても負担が軽減するだけ楽ではありますが,別の負担もあるにはあるということになります。また,作業所からじかで施設まで行きますので,そうした荷物は作業所まで持っていくことになりますから,その点も通常の日よりもやや大変にはなります。なお,翌26日の帰りですが,金曜日というのはこれも支援のひとつとなっている家までの送りが入っていますので,荷物を持つために迎えに行くという必要はありませんでした。なお,先ほどもいったようにこれはショートステイですので,脱いだものの洗濯などは先方の施設でやってくれます。
11月29日は父の戸籍謄本と戸籍抄本を取りに区役所へ。これは相続のために必要な書類です。実は相続というのは,死後すぐに始めることもできるのですが,そうすると手続きがやや煩雑になるのです。もちろんもしも遺書があったならば,早めに手をつけるにしくはありませんが,父は生前は経済的な面はかなり気にしていたのですが,遺書はしたためていませんでした。こうした場合は死んでから3ヶ月が経過してから手をつけるというのが一般的なようです。父の最期というのは8月4日でしたから,もう3ヶ月が経過していました。この直前,たまたま父が口座を持っている信用金庫から電話がありまして,僕の方から父の死を伝え,相続の手続きに入りたいという旨も伝えました。父はあちこちに口座を開設していましたので,やるなら1度にやってしまうという手もあったのですが,何分にも初めてのことでしたから,やり方を覚えるためにも,とりあえずはこの信用金庫から手続きに入ることにしたのです。