スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

伊東温泉記念&ショートステイ

2010-12-14 19:07:20 | 競輪
 グランプリ出場者の斡旋が変更となり,直前でメンバーの入れ替えがあった伊東温泉記念の決勝(動画)。並びは五十嵐-新田の南関東に斉藤,川村には浜口-志智で近畿中部ですが,大塚-室井の西国がこの番手で競り,藤原は単騎。
 号砲と同時に川村が飛び出して前受け。番手は周回中から内に浜口,外に大塚で競り。藤原を挟んで後方から五十嵐。その五十嵐は残り3周回のバックから上昇。ホーム入口で前に出るとスローに。藤原が4番手,室井も5番手にスイッチしたのを見届け,打鐘から発進。浜口も室井の後ろにスイッチしたので川村は7番手に置かれました。バックから川村が捲るも,新田が3コーナーからは番手発進。4回転の川村もぐんぐん迫りましたが凌いだ新田が優勝。川村が2着で3着は新田マークの斉藤。
 優勝した静岡の新田康仁選手は一昨年のサマーナイトフェスティバルで優勝して以降はグレードレースでの優勝はなく,記念競輪は2007年の静岡記念以来となる区切りの10勝目。力量からすれば長期の低迷に入っていたといっていいでしょう。今日は実質的な2分戦で,五十嵐がうまく駆けてくれての優勝という面は否めませんが,復活のきっかけにしてほしい優勝です。

 11月25日は伯母が朝から出掛けるということで,僕が作業所まで妹を送りました。実はこの日は妹の支援のひとつ,宿泊の最初の実施日。これは知的障害者の居住および宿泊を専門に行っている施設を用いることになります。ただし,妹は作業所に行っていますので,僕が家からこの施設まで送るという必要はなく,仕事が終わったら作業所の方がこの施設まで送り,翌朝は逆に施設の方で作業所まで送ってくれるということになっています。法的というべきなのか行政的というべきなのかは分かりませんが,扱い上はショートステイであって,これは10月まで祖母が介護保険で使っていたものと,名称は同じ。1泊ですが着替えなどの準備はあり,預かってもらえるというのはこちらとしても負担が軽減するだけ楽ではありますが,別の負担もあるにはあるということになります。また,作業所からじかで施設まで行きますので,そうした荷物は作業所まで持っていくことになりますから,その点も通常の日よりもやや大変にはなります。なお,翌26日の帰りですが,金曜日というのはこれも支援のひとつとなっている家までの送りが入っていますので,荷物を持つために迎えに行くという必要はありませんでした。なお,先ほどもいったようにこれはショートステイですので,脱いだものの洗濯などは先方の施設でやってくれます。
 11月29日はの戸籍謄本と戸籍抄本を取りに区役所へ。これは相続のために必要な書類です。実は相続というのは,死後すぐに始めることもできるのですが,そうすると手続きがやや煩雑になるのです。もちろんもしも遺書があったならば,早めに手をつけるにしくはありませんが,父は生前は経済的な面はかなり気にしていたのですが,遺書はしたためていませんでした。こうした場合は死んでから3ヶ月が経過してから手をつけるというのが一般的なようです。父の最期というのは8月4日でしたから,もう3ヶ月が経過していました。この直前,たまたま父が口座を持っている信用金庫から電話がありまして,僕の方から父の死を伝え,相続の手続きに入りたいという旨も伝えました。父はあちこちに口座を開設していましたので,やるなら1度にやってしまうという手もあったのですが,何分にも初めてのことでしたから,やり方を覚えるためにも,とりあえずはこの信用金庫から手続きに入ることにしたのです。
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香港国際競走&特別養護老人ホーム

2010-12-13 19:37:30 | 海外競馬
 昨日は香港で恒例の国際競走が行われました。日本馬が参戦した2レースのみ,振り返ることにします。
 香港ヴァーズGⅠ芝2400mには春の天皇賞を勝ったジャガーメイルが出走。後方の内という位置取り。直線もそのまま最内から伸びたものの4着どまりでした。
 このレースはかなりペースが落ち着いてしまい,道中の位置取りが結果に左右したように感じます。勝つために海外まで遠征しているということを考えれば,もう少し積極的な競馬をしてほしかったという思いも残りますが,ローテーションにやや厳しい面もあり,仕方のないレース運びであったという面はあるかもしれません。
 香港マイルGⅠ芝1600mにはマイルチャンピオンシップを勝ったエーシンフォワードが出走。発走後,かなり押しているように見えました。どのような意図があったか分かりかねますが,確保できたのは4・5番手といったあたり。道中で多少の出入りはありましたが,あまり変わらぬ位置で直線へ。一旦は下がったのですが,前が開くとそれなりの伸びをみせ,4着同着でのゴールとなりました。
 この馬はマイルチャンピオンシップでも力量上位という形で優勝したわけではありません。個人的には苦戦するのではないかと思っていまして,むしろこの差ならば健闘の部類に入るのではないでしょうか。少なくとも,僕が思っていたよりは強い馬だったようです。

 週が明けて11月22日。この日は僕が妹を作業所まで送っていきました。ずっと任せていた伯母が不在だったのです。
 伯母は現在はアメリカに住んでいるわけですが,これはアメリカ人,といっても日系の方ですが,結婚したからです。の姉ですから当然ながら産まれや育ちというのは日本。ですからその頃の友人たちというのがいます。伯母は来日するたびにそうした友人たちと会い,旧交を温め,ときに旅行などを楽しむことがありました。この日もそうで,前日の21日から,友人たちと1泊の旅行に行っていたのです。これまでの来日では,祖母の世話だけですんでいたのですが,今回は僕の妹と母の手助けがそれにプラスされていましたから,それは相当な負担になっていた筈で,本当に束の間の息抜きという表現がぴったりだったのではないでしょうか。
 翌23日に,祖母が帰ってきました。これは次の24日から,祖母が新たに特別養護老人ホームに入所できるようになったからです。実はこの入所には母の異変というのが大いに関係していまして,それまで日常的に介護していた人間が倒れたからということで,ケアマネージャーが強力にプッシュしてくれたのです。
 現在,特別養護老人ホームに入所するというのはとても大変なことで,どこもかしこもといっていいと思いますが,順番待ちとなっています。そのために祖母のように有料老人ホームに入所するというケースもありますが,経済的にそうした負担を負うことができない家庭というのもある筈で,そうした場合には本当に大変なことだと思います。この祖母の移動は,経済的な面も考慮したようですが,祖母自身の希望もありました。祖母は喫煙者ですが,それまでの有料老人ホームで喫煙する場合には建物の外に出なければならなかったのですが,今度の特別養護老人ホームの方は,室内に喫煙所がありました。なお,この特別養護老人ホームは,祖母がショートステイに出ていたところと同じです。
 そして24日の午後に,伯母が祖母を入所させました。23日に帰ってきたといっても,これは叔父が迎えに行き,アパートへと連れて帰ったもの。なので僕は祖母には会っていません。
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阪神ジュベナイルフィリーズ&匂い

2010-12-12 20:36:27 | 中央競馬
 良血馬が揃った2歳牝馬チャンピオン決定戦の阪神ジュベナイルフィリーズ
 先手を取ったのはピュアオパール。これをマルモセーラが追っていきました。ダンスファンタジアは中団の外も掛かり気味。レーヴディソールはほぼ同じような位置もしっかりと折り合いがつきました。前半の800mは48秒5でスローペースですが,これはコース形態上の必然とも思えます。
 道中で進出する形となったダンスファンタジアが直線入口で前と並ぶところまで行ったのは形作りのようなもの。見せ場を作ったのは好位にいたライステラスでしたが,外に出されたレーヴディソールがしっかりとした末脚で伸び,まずは完勝。内目から馬群を割ったホエールキャプチャが2着に入り,ライステラスが3着。
 優勝したレーヴディソールは前走のデイリー杯で重賞を勝っていて,これで3連勝。2歳牝馬のトップに立ったと同時に,来年のクラシックの主役の座も確保したといえるでしょう。故障などがなければ,間違いなく活躍し続けられる馬だと思います。父はアグネスタキオン,兄に青葉賞を勝ったアプレザンレーヴ。Reve d'Essorはフランス語で飛躍の夢。
 騎乗した福永祐一騎手は2007年のオークス以来となる久々の大レース制覇で,2002年以来の阪神ジュベナイルフィリーズ2勝目。管理している松田博資[ひろよし]調教師は天皇賞以来の大レース制覇で,一昨年以来の阪神ジュベナイルフィリーズ2勝目。

 このようにして移動したリハビリ病棟病室の状況が,にあるひとつの弊害をもたらすことになりました。
 これはまだ説明していませんでしたが,母は入院後のある時期から,匂いというものに対して敏感に,というか僕からするとかなり過敏な反応を示すようになっていたのです。とくに僕にそれが顕著に感じられ始めたのは,排泄状況がベッド脇に簡易式トイレを置くようになってからのこと。自分でそこに排泄するという理由もあったのでしょうが,かなり臭気を気にしました。あるいは見舞い客の化粧や香水の匂いにも過剰と思えるような反応を見せましたし,また,食事に魚が出ますと,ただそれだけで生臭さというようなものを感じて食べられないということもあったようです。
 実際のところ,僕は母の病室でそのような匂いが耐えられないほどに強烈すぎると感じたことはありません。むしろ気にもなりませんでした。したがって,僕からすればこれはあまりに過剰な反応に感じられました。もしかするとこれは,表象の種類としていうなら,知覚というよりも想起とか想像に類するようなものであったのではないかと思います。しかしそうであったとしても,表象するものは表象するのですから仕方ありません。人間というものが受動から免れ得ない以上,こうしたことを自分の力で排除するということはできないのです。それでもこの反応が少しでも治まればと思い,この時期に噴霧式の消臭スプレーを病院に持って行き,使用してもらいました。
 しかも問題はこれだけではありません。こうした匂いが,母の吐き気を誘発したのです。というか,それが吐き気を誘発したからこそ,母は匂いというものにこれほどまで過敏に反応したのかもしれません。
 ところが移動したこの病室は,ほかの3人の患者がすべておむつをしていました。つまり母が匂いに反応しやすい状況だったのです。さらに,夜間にも看護師がおむつの点検に来るということで,そのたびに目が覚め,どうも母はそれまでよりも熟睡できなくなってしまったようです。こうしたことを母が訴えたのかどうかは分かりませんが,この週のうちには母はこの部屋を出て,リハビリ病棟の別の部屋にまた移動することになりました。こちらの部屋は,ほかの3人の患者はすべて,自分で動くことができましたので,こうした問題は解決したのです。
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アリアーン&病室

2010-12-10 19:00:05 | 血統
 先月のJBCクラシックで待望の大レース初制覇を果たし,返す刀で浦和記念も制したスマートファルコン。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1968年にイギリスで産まれたアリアーンという馬です。ファミリーナンバー9-c
                         
 キョウエイやインターの冠の馬を多く生産しているインターナショナル牧場の輸入。アリアーンは1972年から日本でのみ繁殖生活を送りました。しかし重賞の勝ち馬を出すことはなく30年近くが経過。ようやく出た重賞馬が1999年の東京大賞典で,メイセイオペラなどを破って優勝したワールドクリーク。この馬は前走のオープン特別まで3連勝しての重賞初挑戦。つまりこの一族にとって重賞初制覇が同時に大レース初制覇となったのです。しかしワールドクリークはその後は重賞を勝てませんでした。晩年は九州に移籍し,6勝していますが,これは明らかに相手関係によるもの。そういう意味では一発屋に近い馬であったといえるでしょう。
 このワールドクリークの母がケイシュウハーブという馬で,同時にスマートファルコンの母でもあります。つまりケイシュウハーブは2頭の大レース勝ち馬を産んだことになります。しかもスマートファルコンが産まれたのはワールドクリークが産まれた10年後ですから,これはかなり珍しいケースといえるでしょう。
 初挑戦の大レースを制したもののその後は凡庸な成績に終わったワールドクリークと,堅実に走って重賞11勝目がようやく大レース制覇となったスマートファルコン。まったくタイプの違う大レースの勝ち馬2頭が兄弟というのも,競馬の面白いところではないでしょうか。

 2階から3階へ移動したといっていますが,実はは,2階でも何度か部屋を移動していたのです。
 最初はHCUから一般病棟への移動で,これは説明しました。しかしその一般病棟も,実は母は計3部屋使ったのです。最初に移動したのが4人部屋。しかしその部屋が,男性用になったために,2人部屋にまず移動しました。これはちょうど母の排泄状況が,ベッド脇に簡易トイレを設置した時期のこと。僕が2度めの主治医の話を聞いた頃のことです。ただ,差額ベッド代というのがありまして,2人部屋は4人部屋に比べてこれが高い。このときはベッドの空き状況の関係という完全に病院側の都合による移動で,僕たちの希望ではありませんでしたから,ほどなくしてまた4人部屋に移動となったわけです。そしてその部屋からリハビリ病棟へと移動しました。
 移動した3階の部屋も4人部屋。僕が入院したみなと赤十字病院の病室も4人部屋で,ベッドの設置の仕方に関してはそこと同じで,中央の通路を挟み片側に2床ずつでした。ただし,磯子中央病院の病室には,トイレはなく,廊下にあるものを共用で使う方式。しかし1部屋自体のスペースは,みなと赤十字病院よりも明らかに広く,したがって隣や向いの患者との距離というのは,より遠くなっています。ベッドの片側にはやはりテレビも視聴できるパソコンが備え付けられていること,それが冷蔵庫と連動していて,カードを入れて使用することはみなと赤十字病院と同様。母は回復してからは冷蔵庫で水やおやつを冷やすようになりましたし,またテレビも視聴するようになりました。これはカードも自分で買いに行くことができるようになってからのことで,その時期から財布を持っていき,母にも現金を渡しています。
 同じ4人部屋ですから,2階の緊急病棟も3階のリハビリ病棟も部屋の構造は同じ。ただ,移動して少しばかり驚いたのは,リハビリ病棟で同部屋になった患者の方が,緊急病棟で同部屋だった患者よりも,僕には重篤に感じられたことです。実際,この日に移動した部屋のほかの3人の患者は,自分で起き上がるということができず,排泄もおむつを使っていました。
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デイリー盃クイーン賞&リハビリ病棟

2010-12-08 19:37:53 | 地方競馬
 地方競馬場を舞台に争われる交流重賞としては数少ないハンデ戦のひとつ,第56回クイーン賞
 ブラボーデイジーが出遅れ。注文をつけるようにザッハーマインが先手を奪い,メイショウバトラーが2番手。ミラクルレジェンドは好位の内に控え,追い上げたブラボーデイジーはその後ろの外から。最初の800mは49秒0で,これはミドルペースといっていいでしょう。
 レースは淡々と進みましたが,3コーナーを回るとブラボーデイジーは後退し始めて圏外。逃げたザッハーマインと内から進出したミラクルレジェンドの2頭がやや後ろを離して直線に入ると,勝負になったのはこの2頭。最後は外に持ち出したミラクルレジェンドが差し切って優勝し,2着に逃げたザッハーマイン。前半は後方,向正面から追い上げを開始した笠松の伏兵,トウホクビジンが3着に差し込み,三連単は波乱の結果に。
 優勝したミラクルレジェンドは前走のレパードステークスに続く重賞連勝。ここは能力上位と目された馬で,まずは順当な勝利。休み明けが最大の問題でしたが,きちんと仕上がっていたようです。牡馬に混じってもそれなりのレースができる馬で,今後どのような路線を歩むのか分かりませんが,この路線を選択するなら,中心の1頭になっていくでしょう。父はフジキセキ,母系一族の代表馬は,エルコンドルパサーキングカメハメハの父であるKingmambo。日本の活躍馬だとファンタジーステークスを勝ったオディール
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は2006年以来のクイーン賞2勝目で,管理している藤原英昭調教師はクイーン賞初勝利。

 待ち時間を潰すためにわざわざ『スピノザの世界』を持っていったということからも想像できるかと思いますが,あまり時間が遅くなると,病院の食堂で昼食を摂らなければならなくなるかもしれませんので,この日はインスリンも用意してありました。また,みなと赤十字病院から磯子中央病院までは,バス1本で行かれますので,そういう場合には帰宅せずにそのまま見舞いに行ってしまった方が,かえって面倒ではありません。というわけで,見舞いのための用意,これは洗濯ものとか,あるいは点滴が外れることによって医師から食べてもよいという指示が出たおやつなどですが,そうしたものもかばんに入れていたわけです。しかし予想に反してかなり早く片付けることができましたので,実際にはこれら一切のものは不要でした。帰途にまずは薬局に寄って針と同時に処方されたインスリンを受け取り,さらに近くのスーパーで買い物をしてから家に帰ったのですが,それでも正午前でした。ということで家で昼食を摂ってから,改めて母の見舞いに出掛けたわけです。
                         
 翌20日は,1時過ぎに母の見舞いに行きました。これは土曜日で,妹は休みだったのですが,起きるとアパートに行って,伯母と一緒でしたので,ひとりです。前にもいったように,妹は基本的に土日と祝日は休みなので,僕と一緒に母の見舞いに出掛けていたわけですが,伯母の来日中はこの日のようなケースも何度かありました。
 僕が病院に着きますとほどなくして看護師がやって来て,病室の移動の準備を始めました。この日,母は2階の緊急病棟から,3階へと移動することになっていたのです。これは僕も事前に知っていましたが,時間に関しては伝えられていませんでしたので,あるいはもう移動し終えた後かもしれないと思っていたのですが,ぎりぎりで間に合ったということになります。
 磯子中央病院にはリハビリ患者専用の病棟というのがありまして,それが3階。つまり母はこの日をもってリハビリ病棟へと移動したということになります。すなわち小脳出血そのものに対処するような治療というのは,基本的にこの日で終了となったわけです。実際,この日以降は吐き気や目眩を抑制するための飲み薬も服用していません。もちろんリハビリ病棟へと移動しても,主治医はN先生で代わりませんが,むしろ療法士とのリハビリにより多くの時間が割かれることになりました。
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朝日新聞社杯競輪祭&処方箋

2010-12-06 19:05:33 | 競輪
 ここで年末の競輪グランプリに出走する選手が確定する競輪祭は小倉競輪場を舞台に昨日,決勝が争われました。並びは新田-岡部の福島,深谷-山口の中部に飯嶋,村上義弘-村上博幸-市田の近畿で海老根は単騎。
 争うでもなく牽制するでもなくといった感じの発走から,最内の海老根が自然と前受け。2番手に新田,4番手に村上義弘,7番手に深谷という周回。残り2周のホームから深谷が発進するとバックから新田も出て並走で海老根を叩きました。一旦は引く形となった村上義弘が打鐘から発進。新田も叩いた深谷と激しい先行争いとなりましたが,これを制したのは深谷。バックから村上博幸も自力発進しましたが,先行争いの後ろに入っていた海老根の捲りがさく裂。これに乗るする形になった新田を辛うじて振り切り優勝。新田マークの岡部が3着。
 優勝した千葉の海老根恵太選手は昨年の競輪グランプリ以来のビッグ5勝目。今年は記念競輪の優勝もなく,少し落ち込んでいましたが,最後の最後でグランプリへの切符を手にしました。レースのポイントとなったのは打鐘過ぎで少し脚を使い,新田より前に出て先行争いの直後に位置できたこと。最後に迫られたのはそこで脚を使った分もあったのではないかと思います。
                         

 予定された診察の予約時間まで1時間半近くもあったことからお分かりいただけると思いますが,総合内科の診察室の前の待合所の椅子はほぼ埋まっているくらい大勢の患者がいました。ところが,10分も経たないうちに僕の順番を示す番号が点灯したのです。これには驚きましたが,僕もすぐに診察室へ入りました。いつものМ先生の診察のときとは向い側の診察室でした。
 診察室で待っていたのはもちろん初対面のY先生という人で,インスリンを注射するための注射針が足りない状況になっているということを把握していました。これはおそらく事務の方から伝えられていたからでしょう。ですから診察などは一切なしで,すぐに処方箋が出されました。これが6袋。この6袋というのは,この11月19日から計算して,次の通院日にあたる12月6日,すなわち今日の分までに該当します。実際にはこの時点ではまだ在庫があって,3袋あれば足りたのですが,どうも残りが0か,そうでなくともそれに近くなっていると考えられたようです。もちろん多くもらったところで保存可能なものですから,僕としては一向に構わないところ。ただし,注射針を処方する場合にはインスリンも同時に処方する必要があるということで,超速効型のヒューマログも1本だけ同時に処方されました。インスリンも冷蔵庫で保存が可能ですし,これは針も同様ですが,次の通院のときに数を調整すればいいだけですので,必要か不要かといえば不要ではありましたが,だからといって困るということはありません。
 たぶん,すぐに僕の診察の順番がきたのは,注射針がすぐに足りなくなるかのように勘違いされたからなのではないかと思います。注射針がなければインスリンを注射することができず,これはⅠ型糖尿病の患者にとっては大変な事態。なのでおそらく僕より先に受け付けた多くの患者を差し置いて,僕が先に処方箋を出してもらえたのではないでしょうか。もしもそうであったとすれば,ほかの方々には非常に申し訳ないのですが,僕にとってはまことに好都合な勘違いではありました。
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ジャパンカップダート&失敗の取り返し

2010-12-05 18:56:57 | 中央競馬
 JRA所属馬のみによる争いとなったジャパンカップダート
 人気のトランセンドが戦前の予想通りに先手を奪いました。追いかけていったのはバーディバーディ,ラヴェリータ,ダイシンオレンジといったあたり。キングスエンブレムはその後ろの集団,シルクメビウスは後方4番手あたり。最初の800mは47秒9のミドルペース。
 トランセンドはほぼ一貫したラップを刻み,直線に入ると再スパート。最後はやや止まり加減ではありましたが,一杯に粘って優勝。シルクメビウスの少し前から追い込んだグロリアスノアがクビ差まで追い詰めるも2着。先行集団直後からしぶとく伸びたアドマイヤスバルが3着。
 優勝したトランセンドは前走のみやこステークスから連勝。大レースは初挑戦での制覇。ここはややとうが立ったと思える実績馬,大レースには手が届かないでいた馬,そして上昇馬という組み合わせで,レベル的にはやや低調。その中でこの馬の上昇度が最大の武器になりました。一貫したペースで逃げを打てる馬ですので,大崩れするということは考えにくく,今後も一定のレベルで活躍し続けていくだろうと思います。
 騎乗した藤田伸二騎手は昨年のスプリンターズステークス以来の大レース制覇で,ジャパンカップダートは初勝利。管理している安田隆行調教師はこれが大レース初勝利です。
                         

 翌日となる19日は,いよいよ前回の通院のときの失敗を取り戻すべく,みなと赤十字病院へ行きました。注射針の残り数に関してはまだ少しだけ余裕がありましたが,その後の僕自身の予定を考えますと,この日に行っておかないと危ういように思われたのです。
                         
 家を出たのが9時前。バスの乗り継ぎにいささか時間が掛かりましたので,病院に到着できたのは10時近くになっていたのではないかと思います。扱いとしては初診ということになるのですが,事前の手続きというのは通院のときと同様ですから,まず保険証の確認を行い,診察券を機械に通しました。ところが,受け付けてくれないのです。もう1度試みましたがやはり同様でした。この機械の傍らには案内役の方がいつも立っていますので,その人に事情を話しました。すると,総合内科に限り,初診の場合は機械で取り扱うことができず,病院の窓口へ出向かなければならないとのこと。おそらく総合内科の初診を希望するという患者はそれだけ多いということなのでしょう。ということで,再び窓口の方へと向いました。予約が取れないと大変ですから少しドキドキしましたが,何とか取ることができました。ただし渡された予約票を見てみますと,予約の時間が11時半から12時半となっていました。この時点でも10時を少し回った頃でしたから,かなりの待ち時間です。もっとも,注射針が足りなくなることについてみなと赤十字病院に電話したときに,かなり待つことになるかもしれないということは言われていましたから,これは想定内といえば想定内。待っている間は読書でもしていようと,上野修さんの『スピノザの世界』をかばんに入れておいたのです。
                          
 予約は取れましたので,今度は総合内科の窓口へ。そこで予約票と診察券を事務の人に渡しました。事務の人というのはいつも同じ人。もっともこれだけの待ち時間ということはそれだけ多くの患者が訪れることの証ですから,先方が僕のことを覚えていたのかどうかは分かりません。初診なので問診票に何か書くのだろうと予期していましたが,注射針の処方箋をもらいたいということを口頭で伝えるだけで手続きは終了。診察室入口前の廊下の椅子に座り,読書を始めました。
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霧島酒造杯女流王将戦&介護保険判定

2010-12-03 19:05:10 | 将棋
 タイトルの行方が決定する第32期霧島酒造杯女流王将戦三番勝負第三局は11月27日に放映されました。第二局の直後の対局。
 振駒で先手となった清水市代女流王将は第二局を踏襲する3手目☗6八玉。里見香奈女流名人も四間飛車から3筋の位を取って石田流に組み替え,先手が棒金から抑え込みを目指すという,第二局によく似た戦型に。先手は第二局の反省から,角交換を拒否しました。
                         
 跳ね出した2五の桂馬を確実に取りにいく指し方もあったのですが,先手はさらに欲張ったのがこの局面。しかし結果的にはこれがよくなく,ここはすでに先手の構想に穴があいてしまっていたようです。後手は☖4七歩と歩の手筋。単に☖3七金だとたとえば☗2六飛で後続がありませんが,この場合はと金ができます。☗同銀ではそれこそ☖3七金が厳しいので☗4五銀と逃げましたが,今度は☖3六歩。このまま3七に成られてはひどいので☗同銀ですが一歩を損した代わりに手番を握り,☖3七金が実現。☗2六飛☖3六金☗同飛に☖4八歩成(第2図)が実現しました。
                         
 食い破った形で後手の方がよいでしょう。ここで☗7七金と先逃げしたのが緩手で☖5八とと交換になり,先手が損をしました。逃げるならたとえば☖4七銀と銀を使わせてからの方がよく,ここは☗2三歩と直接打つか,じっと☗4五歩と突き出しておけば,まだまだ勝負のあやはかなり残っていたようです。
 この後は後手が一方的に攻めきるような展開となり,里見女流名人の勝ち。倉敷藤花も併せて女流三冠に。一方,清水前王将は無冠の六段に転落と,大きく明暗を分ける結果となりました。

 本格的なリハビリが始まったのが15日の月曜日。この日は妹の福祉サービスの更新の手続きというのがありまして,先に区役所に行ってから母の見舞いに行きました。この更新というのは郵送でも可能だったのですが,何かミスがあるといけませんので,あえて窓口まで出向いたもの。実際に1箇所ですが記入ミスがありましたので,わざわざ区役所まで行ってよかったということになります。なお,前にもいったように,磯子区役所と磯子中央病院というのは同じ国道沿いのごく近くにありまして,僕の家から行きますと,区役所の方が少しだけ先にありますから,区役所から病院へは戻るといった感じになります。
 この月曜の時点では,本格的なリハビリがこの日から開始されるということも,またその時間が何時からになるということも僕は知りませんでした。それをこの日に把握しましたので,火曜と水曜はリハビリ時間前に母の見舞いに行きましたが,18日の木曜は別。というのはこの日は介護保険の判定が午後2時から予定されていまして,それに僕も立ち会う必要があったからです。
 この判定に病院まで来たのはふたりでした。ひとりは僕が申請に行ったときに,区役所の窓口で担当になった人。年齢的にはもう少し若かったでしょうが,女優の松たか子さんに似た雰囲気の方でした。母や僕に対する質問というのはほぼこの人が担当しました。もうひとりは,僕の家から最も近い地区センターのケアマネージャー。この人は祖母の判定のときにも立ち会ったようです。したがって母とは以前からの知り合い。実は区役所の方も,母とは知り合いであったようで,が死んだこと,妹が重度知的障害であること,また祖母が有料老人ホームに入所したことなど,すべてを把握していました。
 午後2時というのはちょうどリハビリ開始の時間。というわけで僕への質問以外の判定の調査の大部分は病室ではなく,リハビリ専門の施設内で行われ,1時間弱で終了しました。申請した,というか申請についてN先生に相談したときは母も大変な状況でしたが,この時点ではだいぶ回復していました。判定結果が出るまでには1月半ほどかかるわけですが,この状況ですと要介護の判定が出るのは難しく,出ても要支援になるのではないかと僕自身は予想しているのですが,果たしてどうなるでしょうか。
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竜王戦&本格的なリハビリ

2010-12-02 20:03:16 | 将棋
 勝った方が竜王位に王手を掛けることになる第23期竜王戦七番勝負第五局。
 渡辺明竜王の先手で羽生善治名人は3度目の横歩取り。先手の応手の関係から△8四飛となり,後手が中原囲いの銀を5筋から6筋へ,先手も右の銀を3筋から4筋へ繰り出していく将棋に。この戦型としてはじっくりとした手順に進み封じ手。それが▲1六歩で,△7四歩▲同歩△同飛▲9六歩△9四歩▲7六歩(第1図)と進みました。
                         
 △7四歩は別に取らずに△7五歩とされても,ぱっと見は厳しい攻めがあるようには思えないので,部分的にはこのやり取りは先手が損をしたようにも感じます。受けるべきところで攻め合いを選んで逆転された前局の反省を生かして,僅かな禍根も残さず慎重な指し手になった,といってはいいすぎでしょうか。
 しかし渡辺竜王の将棋の魅力であり,また長所と思うのは決断力。ことばを変えていえば,必ずしも読み切れるような局面ではないところで踏み込んでいく勇気。この将棋も第2図からそういった手順がみられました。
                         
 ここで▲2五桂と跳ね出し,△9五歩に手抜いて▲3三歩成といきました。結果的にいうとこの将棋は先手が自主的に角を切っていく形になりましたので,△9五歩はそれ自体でみれば緩手。ただし先手がこのまま攻めきることはできなかったので,攻めを誘った手と評価することもできる一手となりました。先手の攻め,後手の受けという展開が延々と続き第3図のように進みました。
                         
 ここはすでに観戦中で,△3七歩と垂らしたのは僕には意味が分かりませんでした。ここで先手は▲4六桂。後手の角筋を遮断する受けを主眼に置いた手。以下△2六金と打ち,▲6二龍上△3八歩成▲同金△3六金。攻めるならここで打った桂馬をどちらかに跳ねていきたいところですが,それは危険とみて▲7一龍左。しかしそこで△4三銀打とがっちり受けられ,これは先手が勝つというのは容易ではなくなったと思いました。
 しかし渡辺竜王の将棋のもうひとつの特徴が,切れそうな攻めを繋げていくところ。この後,8九の桂馬を跳ねて攻めに参加させたのはその真骨頂ともいえるのではないでしょうか。そして7一の龍で香車を取り,6二の龍を7一に入っていったのも妙手順。これで白熱した終盤戦がまだまだ続くことになり第4図に。
                         
 ここで▲6一金と打ちました。逃げ道を開ける△2四角右▲同歩△同角までは一本道。先手玉は受けにくいので後手玉が詰むかどうか。ところが▲5一金△4二玉▲5二金というこれしかない攻めに△同銀と取ったので,▲5一角の間接王手角取りが掛かって先手の勝ち。たとえそれで詰まされて負けるのだとしてもこういう局面では△3三玉と逃げるべきところで,今ひとつ腑に落ちない結末となりました。
 大熱戦を制した渡辺竜王が防衛に王手。最後は負けになっていたと思われ(実際には勝ちだったようです),大きな大きな1勝だと思います。第六局は14日と15日。

 12日のN先生との3度目の会見が終わってすぐ,点滴は実際に外されることになりました。これが11月13日か14日のこと。これで母は移動が簡単になりましたので,本格的なリハビリが開始されることになりました。というのは,この時点で母は2階の緊急病棟に入院していたのですが,磯子中央病院の2階にはリハビリを行うための専門施設があり,点滴を外しましたので病室から移動することができるようになり,それまでのベッド上でのリハビリから,そちらの施設を用いてのリハビリへと移行したのです。これが週が明けた15日の月曜から。この時点で母はその施設への移動には,歩行器を使っていました。すでに説明したようにN先生との会見のときには車椅子での移動でしたから,この3日ほどの間でもそれだけ回復していたということです。
 リハビリは専門の療法士の指導のもと,土曜日曜を含めて毎日,1時間ほどかけて行われます。これが午後2時から。つまりこれにより,午後2時から3時の間にかけては,見舞いに行っても母とは会えないという状況になりました。3時過ぎに行きますと,妹を迎えなければならない関係から少しばかり忙しくなります。もちろん伯母がいましたが,基本的に伯母はアパートで生活していますし,妹は家の方に帰ってきます。すぐ近くですから家にいるように頼むことはできて,何度かはそのようにしたこともありますが,僕としてもできる限りは自分で迎えたいという思いもありましたので,この日からはできる限り2時前に母を見舞うようになりました。
 リハビリが始まってすぐ,母が言っていたのは,階段を下りるのは大変だということでした。ただしこれは,小脳出血の後遺症によってそうなったというわけではなく,筋力の問題だったようです。僕たちは普段はそんなことを意識することはほとんどないと思いますが,どうやら階段を下りるときには,普通に歩くときとは異なった筋肉を使っているか,さもなければ普通に歩くとき以上の筋力を必要としているのでしょう。ただ,これはあくまでもリハビリが開始された時点で問題となったことであり,現在はリハビリの成果で筋力も回復し,ほぼ以前と同様に階段を下りられるようになっているようです。
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勝島王冠&喪中はがき

2010-12-01 20:45:55 | 地方競馬
 もう12月に突入しましたが,大井競馬の夜の開催は今週まで。今日がメインとなる第2回勝島王冠でした。セトノギムレットが出走取消で15頭。
 中央からの転入初戦となったバロズハートの逃げ。11頭はわりと一群の競馬で,その最後尾がボンネビルレコード。ツルオカオウジは3番手,マズルブラストは6番手,クレイアートビュンがその後ろ,ロイヤルボスはボンネビルレコードの前。最初の800mは49秒1でミドルペース。
 バロズハートの逃げは直線入口までで,2番手のグラストップガンがすぐに先頭へ。ここから広がって叩き合いになりましたが,ボンネビルレコードから離れた12番手を進んでいたスーパーパワーが,3コーナー過ぎから外を進出して追い上げ,そのまま直線も大外から伸びると内の馬をあっさりと交わし,突き抜けて優勝。叩き合った各馬からは,インから最後は外に出したボンネビルレコードがマズルブラストを捕えて2着。勝ち馬のさらに後ろから追い込んだサイレントスタメンが3着。
 優勝したスーパーパワーは前走でB1を2着になっていた完全な格下の伏兵。それだけにこの勝利にはかなり驚きました。ただその前走もスローペースを追い込んでのもので,末脚には確かなものがあり,今日はその鋭さが生きたというところ。僕は馬が自分の能力以上に走るということはあり得ないという考えですが,今後も活躍できるのかどうかはまだ半信半疑です。時計を2秒も詰めてのものなので,今が成長期にあるということはできるかもしれません。牝系は多くの活躍馬が出ている系統で,近いところでは祖母の兄にニュージーランドトロフィーを勝ったユーワジェームス
 騎乗した大井の真島大輔騎手は桜花賞以来の南関東重賞制覇。このレースはまだ2回目で管理する大井の鷹見浩調教師とともに初勝利。

 この百日法要から始まった1週間のうちにすませた雑事がひとつありまして,それが喪中欠礼のはがきを出しておくことでした。
 父の最期ということがありましたから,これはやっておかなければならないということは前々から分かっていました。ただ,母の異変があり,正直なところ伯母の来日まではそこまで手が回らない状況でした。その後,母とも相談しまして,基本的に僕に任せるということになりましたので,6日の土曜あたりから手をつけ始めたのです。もう年賀状も発売されていましたから,急ぐ必要もありました。
 本来ならパソコンとプリンターがあるわけで,自分で作るのが最善。ただ,やはりそこまでする時間的な余裕というのを作ることはできませんでしたので,印刷に関しては業者に頼むことに。母との相談の結果,250枚ほど作れば事足りるだろうということになり,その枚数で発注しました。およそ2万円弱。これははがきの値段込み。つまりはがきだけで12500円ですから,まずまずの値だったのではないかと思います。ネット上での発注ということもあり,実際にこのはがきが手元に届いたのは週が明けてから。今年の正月に届いた年賀状をもとに,宛名を書いては出すという繰り返しがこの週のうちは続き,それでも週末までにはほぼすべて終えることができました。
 ところが,これによって思わぬことが起きました。どうも母は,自分の友人たちには父が死んだということをほとんど知らせていなかったようなのです。このため,はがきを読んで父の死を知った何人かの母の友人たちから,自宅に頻繁に電話が掛かるようになりました。もちろん僕が応対するわけですが,当然のように母について聞かれます。聞かれれば入院していると答えるほかありません。相手は一様に驚くわけです。結果として,磯子中央病院まで母の見舞いに来る方が,これを機に一気に増えました。僕は父が医師の判断した余命よりも長く頑張れたのには,多くの見舞い客が訪れたことがその一因になったと思っていますが,この時期を境に母の回復が目に見えて顕著になったことにも,あるいはこうしたことが要因になったのかもしれないと思っています。
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