来年のベスト18はすでに決定済みですが,記念競輪はまだ残っていまして,昨日は佐世保記念の決勝(動画)でした。並びは鈴木に長塚-芦沢-阿部の関東勢,深谷-金子の愛知に筒井,中野には山口。
前受けは中野。鈴木が中団,深谷が後方で周回。残り3周のバックで深谷が早くも上昇開始。これに鈴木が併せ,前に出させないまま中野を叩き,残り2周から早くも先行争いに。結果的に外の深谷が出きるも筒井は離れ,長塚は切り替えずに迎え入れられた鈴木が3番手に。後方になった中野がバックから捲ると,車間を開けていた金子が対応して番手発進。今度はスイッチした長塚が直線は外から金子を交わしましたが,開いたインを突いた阿部がよく伸びて優勝。長塚が2着で金子が3着。
優勝した新潟の阿部康雄選手は2006年8月の久留米記念以来となる記念競輪6勝目。佐世保記念は2005年にも制していて2勝目。長らく優勝から遠ざかっていましたし,最盛期にも超一流というところまではいかなかった選手。ここは4番手と普通ならば優勝は考えられない位置だっただけに,僕としてもびっくりの優勝でした。コースには恵まれたものの,まだある程度の力は残っているというところをみせつけた優勝だったと思います。
週が明けて12月6日は,僕の糖尿病のみなと赤十字病院の通院の日にあたっていました。
これはすでに何度も説明していることですが,正午に中央検査室で検査をして,М先生の診察が午後3時から。診察の後は会計を済ませる必要があり,さらに通常のパターンでは帰途に薬局によって処方されたインスリンと注射針を受け取ります。処方箋というのは当日限り有効というわけではありませんから,これは別にパスすることもできるわけですが,それでも4時に作業所を出る妹が家に帰ってくるのには間に合わなくなる可能性も十分に考えられました。ということで,この日は事前に作業所の職員の方にお願いして,妹はショートステイを利用してもらうことにしました。それならば僕としても安心して診察を受けられますし,診察の後でそのまま母の見舞いに行くということも可能だからです。
妹の作業所は,位置関係でいうならば,僕の家とみなと赤十字病院との間にあります。なので,妹を送った後,家に帰ってから再び病院に行くということになると,移動としては非常にばかばかしい。ということで,この日は妹を送ってしまったら,そのままみなと赤十字病院に直行することにしました。ただし,妹がショートステイなので,そのための荷物が多く,僕の荷物も持って行くのは大変ですから,いつものように,検査が終わったら一旦は帰宅し,昼食を自宅で摂ってから再び病院に向うという手順です。検査だけであれば手ぶらで可能ですので,いつも,検査に向う際には手ぶらで行っています。
ただ,妹を送ってそのまま病院に行くとなると,さすがに時間的に早すぎます。で,この日は作業所から病院までは歩いていくということにしました。とくに母の異変が生じてから,僕も運動不足気味ですから,それを補おうという意図もありました。この運動不足に関しては,とくに11月に入ってからは僕自身もかなり気にかけていたことで,その後は,たとえば妹を作業所まで送って行ったら歩いて帰ってくるとか,母の見舞いに磯子中央病院まで行くのに歩いていくとか,とにかく何らかの方法で,天候が悪くならない限りは1日のうちに少しでも歩くようにしていましたので,その一環であったと考えてもらって構いません。
前受けは中野。鈴木が中団,深谷が後方で周回。残り3周のバックで深谷が早くも上昇開始。これに鈴木が併せ,前に出させないまま中野を叩き,残り2周から早くも先行争いに。結果的に外の深谷が出きるも筒井は離れ,長塚は切り替えずに迎え入れられた鈴木が3番手に。後方になった中野がバックから捲ると,車間を開けていた金子が対応して番手発進。今度はスイッチした長塚が直線は外から金子を交わしましたが,開いたインを突いた阿部がよく伸びて優勝。長塚が2着で金子が3着。
優勝した新潟の阿部康雄選手は2006年8月の久留米記念以来となる記念競輪6勝目。佐世保記念は2005年にも制していて2勝目。長らく優勝から遠ざかっていましたし,最盛期にも超一流というところまではいかなかった選手。ここは4番手と普通ならば優勝は考えられない位置だっただけに,僕としてもびっくりの優勝でした。コースには恵まれたものの,まだある程度の力は残っているというところをみせつけた優勝だったと思います。
週が明けて12月6日は,僕の糖尿病のみなと赤十字病院の通院の日にあたっていました。
これはすでに何度も説明していることですが,正午に中央検査室で検査をして,М先生の診察が午後3時から。診察の後は会計を済ませる必要があり,さらに通常のパターンでは帰途に薬局によって処方されたインスリンと注射針を受け取ります。処方箋というのは当日限り有効というわけではありませんから,これは別にパスすることもできるわけですが,それでも4時に作業所を出る妹が家に帰ってくるのには間に合わなくなる可能性も十分に考えられました。ということで,この日は事前に作業所の職員の方にお願いして,妹はショートステイを利用してもらうことにしました。それならば僕としても安心して診察を受けられますし,診察の後でそのまま母の見舞いに行くということも可能だからです。
妹の作業所は,位置関係でいうならば,僕の家とみなと赤十字病院との間にあります。なので,妹を送った後,家に帰ってから再び病院に行くということになると,移動としては非常にばかばかしい。ということで,この日は妹を送ってしまったら,そのままみなと赤十字病院に直行することにしました。ただし,妹がショートステイなので,そのための荷物が多く,僕の荷物も持って行くのは大変ですから,いつものように,検査が終わったら一旦は帰宅し,昼食を自宅で摂ってから再び病院に向うという手順です。検査だけであれば手ぶらで可能ですので,いつも,検査に向う際には手ぶらで行っています。
ただ,妹を送ってそのまま病院に行くとなると,さすがに時間的に早すぎます。で,この日は作業所から病院までは歩いていくということにしました。とくに母の異変が生じてから,僕も運動不足気味ですから,それを補おうという意図もありました。この運動不足に関しては,とくに11月に入ってからは僕自身もかなり気にかけていたことで,その後は,たとえば妹を作業所まで送って行ったら歩いて帰ってくるとか,母の見舞いに磯子中央病院まで行くのに歩いていくとか,とにかく何らかの方法で,天候が悪くならない限りは1日のうちに少しでも歩くようにしていましたので,その一環であったと考えてもらって構いません。