スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アリアーン&病室

2010-12-10 19:00:05 | 血統
 先月のJBCクラシックで待望の大レース初制覇を果たし,返す刀で浦和記念も制したスマートファルコン。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1968年にイギリスで産まれたアリアーンという馬です。ファミリーナンバー9-c
                         
 キョウエイやインターの冠の馬を多く生産しているインターナショナル牧場の輸入。アリアーンは1972年から日本でのみ繁殖生活を送りました。しかし重賞の勝ち馬を出すことはなく30年近くが経過。ようやく出た重賞馬が1999年の東京大賞典で,メイセイオペラなどを破って優勝したワールドクリーク。この馬は前走のオープン特別まで3連勝しての重賞初挑戦。つまりこの一族にとって重賞初制覇が同時に大レース初制覇となったのです。しかしワールドクリークはその後は重賞を勝てませんでした。晩年は九州に移籍し,6勝していますが,これは明らかに相手関係によるもの。そういう意味では一発屋に近い馬であったといえるでしょう。
 このワールドクリークの母がケイシュウハーブという馬で,同時にスマートファルコンの母でもあります。つまりケイシュウハーブは2頭の大レース勝ち馬を産んだことになります。しかもスマートファルコンが産まれたのはワールドクリークが産まれた10年後ですから,これはかなり珍しいケースといえるでしょう。
 初挑戦の大レースを制したもののその後は凡庸な成績に終わったワールドクリークと,堅実に走って重賞11勝目がようやく大レース制覇となったスマートファルコン。まったくタイプの違う大レースの勝ち馬2頭が兄弟というのも,競馬の面白いところではないでしょうか。

 2階から3階へ移動したといっていますが,実はは,2階でも何度か部屋を移動していたのです。
 最初はHCUから一般病棟への移動で,これは説明しました。しかしその一般病棟も,実は母は計3部屋使ったのです。最初に移動したのが4人部屋。しかしその部屋が,男性用になったために,2人部屋にまず移動しました。これはちょうど母の排泄状況が,ベッド脇に簡易トイレを設置した時期のこと。僕が2度めの主治医の話を聞いた頃のことです。ただ,差額ベッド代というのがありまして,2人部屋は4人部屋に比べてこれが高い。このときはベッドの空き状況の関係という完全に病院側の都合による移動で,僕たちの希望ではありませんでしたから,ほどなくしてまた4人部屋に移動となったわけです。そしてその部屋からリハビリ病棟へと移動しました。
 移動した3階の部屋も4人部屋。僕が入院したみなと赤十字病院の病室も4人部屋で,ベッドの設置の仕方に関してはそこと同じで,中央の通路を挟み片側に2床ずつでした。ただし,磯子中央病院の病室には,トイレはなく,廊下にあるものを共用で使う方式。しかし1部屋自体のスペースは,みなと赤十字病院よりも明らかに広く,したがって隣や向いの患者との距離というのは,より遠くなっています。ベッドの片側にはやはりテレビも視聴できるパソコンが備え付けられていること,それが冷蔵庫と連動していて,カードを入れて使用することはみなと赤十字病院と同様。母は回復してからは冷蔵庫で水やおやつを冷やすようになりましたし,またテレビも視聴するようになりました。これはカードも自分で買いに行くことができるようになってからのことで,その時期から財布を持っていき,母にも現金を渡しています。
 同じ4人部屋ですから,2階の緊急病棟も3階のリハビリ病棟も部屋の構造は同じ。ただ,移動して少しばかり驚いたのは,リハビリ病棟で同部屋になった患者の方が,緊急病棟で同部屋だった患者よりも,僕には重篤に感じられたことです。実際,この日に移動した部屋のほかの3人の患者は,自分で起き上がるということができず,排泄もおむつを使っていました。
コメント
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