スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

妙手④&結果の表象

2009-06-15 19:13:09 | ポカと妙手etc
 今日は天才的にも思える受けの妙技を第47期順位戦C級1組4回戦から。
 相矢倉森下システムから先手が猛攻をかけて第1図。▲5六金とぶつけたのに対して△5四金と引いたところ。
           
 ここから先手はさらに攻め続けます。▲2四銀成△同歩とただで捨て▲3三歩成。△3七成桂には飛車を見捨てて▲4三とと金を取り,△3六成桂に▲2四角と飛び出しました。
           
 第2図では後手が困ったかに思えますが△2八飛と打ちました。これには当然▲3三角成で第3図。
           
 第3図は後手玉が受けがないような簡単な詰めろになりましたので,第2図よりさらに分が悪そうですが,驚くなかれこの局面は後手の勝ちでした。実は第2図から後手が勝つためには,わざわざ第3図のように危なくする必要があったのです。
 詰めろなのでとりあえずは王手しかありません。△7九銀▲同玉△6七桂▲8八玉△7九銀▲9七玉△6四角で第4図。
           
 対して先手は▲7五金と合駒しましたが,そこで△3二歩と打てば,3枚の大駒が綺麗に効いて後手玉は受かっています。
           
 実戦は▲6四金と角を取りましたが,△3三歩で馬を外され,先手の受けきり勝ちになっています。絶体絶命と思わせるところまで相手に攻めさせ,反撃も尽きたようなところでひらりと体をかわして勝つ。アマはもちろんプロでも,だれにでもできるような芸当ではないと感じます。

 一般的にいって表象,これはとくに自分の身体の表象に限らずすべての表象に妥当することなのですが,それはある結果としてのみ,つまり原因を伴わないような結果としてのみ僕たちに与えられます。このこと自体は,表象像というのが混乱した観念であるということに注意すれば,それだけでもう明らかであるといえます。なぜなら第一部公理四によって,もしそれが正しい原因の観念を伴って僕たちに与えられるのであれば,それは混乱した観念ではなく十全な観念として僕たちに与えられているということになるからです。したがって,僕の口の中が渇くということは,僕にとっては原因を伴わない結果としてのみ与えられたということになり,各々の人間がこのように自分の身体について何事かを表象するとき,それは常にそのようなものとして表象しているということになります。
 ところが僕たちは,第一部公理三に示されているような事柄についてはそれを一般的に知っています。そこで僕は,僕の口が渇くのであれば,乾くだけの原因がなければならぬということを知るわけです。つまり一般的にいうなら,人間は自分の身体に関してある事柄を表象するときに,表象されたような運動が自分の身体に生じるのには,それが生じる原因があるということを知るわけです。
 原因があるということを知るならば,その原因が何であるかを突き止めたくなるのは,自然の傾向だと僕は思います。ところがこのとき僕たちに与えられているのはあくまでも結果の表象だけなのですから,僕たちはこの結果から原因を遡及する,つまり帰納法的思考をせざるを得ないのです。
 第二部定理一四は,人間が様ざまなものを表象するということを端的に示しているといえるでしょう。よって上述のような仕方で帰納法的に物事を考えることは,人間の一特質である,少なくとも自然的傾向に合致しているといえるのではないかと僕は思うのです。 

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