スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&自由とは何か

2006-10-12 21:31:17 | 将棋
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 竜王戦第一局封じ手は△8一飛ということで,千日手はなくなりました。どこで差がついたのか僕には判然としませんが,昼食休憩明けに指された渡辺竜王の64手目の△3二金はちょっとした疑問手であったかもしれません。その後,佐藤棋聖の69手目の▲7三角成に対する△3五銀はちょっと辛い感じのする手で,この時点では佐藤棋聖の優勢になっていると思います(渡辺竜王の自戦解説だと,ここから3手の指し手が勝敗を分けたようです)。以下,73手目の▲6五銀右で渡辺竜王が桂損となり,ジリ貧を嫌って反撃に転じたのですが,すでに形勢に差があったために仕方がないとはいえ84手目の△7七銀からの攻めは暴発ともいえるような無理攻めで,佐藤棋聖がしっかりと受けきって優勢から勝勢になり,そのまま押し切って先勝しました。全般的には佐藤棋聖の快勝といえるでしょう。局後のインタビューでは渡辺竜王は体調が芳しくなかったようで,8時間の持時間の将棋で相手の長考が辛くては勝つのは厳しいと思います。体調を整えて,第二局以降の巻き返しに期待したいところです。その第二局は31日から指されます。あとは日本での対局なので時差はありません。

 その当時の僕が意志と関係する自由についてそれをどのように考えていたかといえば,自分の行為(思惟作用も含めた意味で)の原因が,完全に自分自身にあるとき,人間はその行為を自由になしたというように理解していました。したがってこれをスピノザの哲学で説明すれば,第三部定義一に示されている意味で,ある人間自身が,その人間のなす行為の十全な原因であるとき,その人間は自由であるという意味になると思います。もちろん当時の僕は,エチカのこの部分に基づいて,自由とは何かということを理解していたわけではありません。ただ,このように理解することは,スピノザを離れて一般的に自由について考えてみた場合には,妥当であるといえるのではないかと思います。
コメント
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