共同通信社杯競輪2日目メーンの篝火賞。スタートで飛び出したのは神山で,北日本を受けました。前から山崎の後ろは内に佐藤-神山-佐々木,外に渡辺-手島-阿部で,周回中から併走状態。最後方の合志がイン切を狙ってか誘導の後ろに入ろうとしましたが山崎がこれを阻止。結局,合志は一旦は後退し,残り1周前あたりから山崎が踏み込んで先行態勢に。外の渡辺が踏み遅れた感じで,番手はあっさり佐藤。さらに合志が再び追い上げますが,これも1コーナーでは佐藤が楽に捌きました。結果,前から山崎-佐藤-神山-佐々木となり,後方の選手は動くことができずに前の選手たちのレースに。佐藤選手が山崎選手を交わして1着,山崎選手が2着に粘り,神山選手が3着,佐々木選手が4着でした。佐藤選手にとっては競り合いがそれほど激しくならなかったこと(全員が準決勝に進出する権利を得ているということもありますが)幸いしました。山崎選手はこの展開ですから粘って当然で,本当なら勝ってほしかったところです。
哲学そのものへの興味は,たとえ上辺だけのものであったとしても,高校時代にはすでにありました。実際,選択授業では哲学(倫理学という名称だったかもしれません)を選んでいました。ただ,そこではデカルトは採り上げられましたが,スピノザは出てきませんでした。さらに,僕はエチカの前に方法序説と情念論を読んでいましたし,また,当時の僕は今と比較すれば書かれたものを十分に読みこなす力に欠けていましたから,身体論に関しては常識的であるといえるデカルトの考え方の方が,スピノザの考え方よりもすんなりと入ってきたという面があると思います。そしてこれは,身体論とも関係している,ここでのテーマとしている意志の問題の場合にも同じようなことがいえると思います。そしてこうしたことが,僕が抱えていた問題の伏線となっているのです。
哲学そのものへの興味は,たとえ上辺だけのものであったとしても,高校時代にはすでにありました。実際,選択授業では哲学(倫理学という名称だったかもしれません)を選んでいました。ただ,そこではデカルトは採り上げられましたが,スピノザは出てきませんでした。さらに,僕はエチカの前に方法序説と情念論を読んでいましたし,また,当時の僕は今と比較すれば書かれたものを十分に読みこなす力に欠けていましたから,身体論に関しては常識的であるといえるデカルトの考え方の方が,スピノザの考え方よりもすんなりと入ってきたという面があると思います。そしてこれは,身体論とも関係している,ここでのテーマとしている意志の問題の場合にも同じようなことがいえると思います。そしてこうしたことが,僕が抱えていた問題の伏線となっているのです。