「バラ色の未来」は次の歌詞から始まります。
今より未来のほうが きっと良くなってゆくと
教えられたから ただ待っている
「僕たちの将来」との関連付けとしていっておいたように,この歌はある男が自分のことを歌っています。この男すなわち歌い手は,未来,これは自分の未来でありまた世界全体の未来でもあると解せるでしょうが,それはよくなると思っていました。しかしなぜそう思っていたのかといえば,それはそのようにいわれたからであって,自分の中に何らかの確信があってそのように思っていたわけではないのです。僕たちの将来はよくなってゆく筈だ,と歌っていた「僕たちの将来」の歌い手のひとりである男も,実はこの程度の理由からそのように歌っていたのかもしれません。
星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜,月のかげに入る
星が月の影に入るというのは,自然現象のひとつで,星食といいます。ただこの現象が何を暗示するものであるのかは,正直なところ僕にはよく分かりません。
スピノザとライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとの間で交わされた文通が,スピノザの親しい友人たちにも知らされていなかった極秘事項であったとしたら,ライプニッツもその事実を,マイエルLodewijk MeyerやイエレスJarig Jellesと会ったときに伝えなかったと推測されます。ライプニッツはスピノザと接触を図るためにこのことをチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausに伝え,チルンハウスを介してシュラーGeorg Hermann Schullerも知るところとなったのですが,アムステルダムAmsterdamでマイエルおよびイエレスと会ったときは,その目的すなわちスピノザと会見することは決まっていたのですから,そのことをマイエルにもイエレスにも伝える必要はないからです。したがって,マイエルもイエレスも,ライプニッツがスピノザに会うということ,事後的にいえばスピノザとライプニッツが面会したということは間違いなく知っていたと考えなければなりませんが,スピノザとライプニッツの間で書簡のやり取りがあったことは,知らなかった可能性があるということを想定しなければなりません。僕が作る物語は,この想定の下での物語です。したがって,書簡四十五と書簡四十六は,遺稿集Opera Posthumaを編集するときにスピノザの遺稿の中に残されていたので,それによってマイエルとイエレスは,スピノザとライプニッツが書簡を交わしていたことを初めて知ったということになります。同時に,これらの書簡からは,その後にも文通が継続したことを匂わせる記述があったのですが,そうした書簡は遺稿の中に残ってなく,さらに書簡七十と書簡七十二も残っていなかったために,マイエルもイエレスも,またほかの編集者たちも,実際にはふたりが計画していた秘密裏での文通は行われなかったのだと判断したのでしょう。よってシュラー以外の編集者は,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題としたやり取りがライプニッツとスピノザの間に存在したという事実を知らなかったのです。
『神学・政治論』を主題とした文通および書簡七十と書簡七十二がスピノザの遺稿の中に残っていなかったのは,遺稿集を編集する以前の段階で,それらすべてが抜き取られていたからです。もちろんそれは意図的に抜き取られたのです。だれがそれらを抜き取ったのかといえば,ここまでの物語から,シュラー以外にはあり得ないことになるでしょう。
今より未来のほうが きっと良くなってゆくと
教えられたから ただ待っている
「僕たちの将来」との関連付けとしていっておいたように,この歌はある男が自分のことを歌っています。この男すなわち歌い手は,未来,これは自分の未来でありまた世界全体の未来でもあると解せるでしょうが,それはよくなると思っていました。しかしなぜそう思っていたのかといえば,それはそのようにいわれたからであって,自分の中に何らかの確信があってそのように思っていたわけではないのです。僕たちの将来はよくなってゆく筈だ,と歌っていた「僕たちの将来」の歌い手のひとりである男も,実はこの程度の理由からそのように歌っていたのかもしれません。
星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜,月のかげに入る
星が月の影に入るというのは,自然現象のひとつで,星食といいます。ただこの現象が何を暗示するものであるのかは,正直なところ僕にはよく分かりません。
スピノザとライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとの間で交わされた文通が,スピノザの親しい友人たちにも知らされていなかった極秘事項であったとしたら,ライプニッツもその事実を,マイエルLodewijk MeyerやイエレスJarig Jellesと会ったときに伝えなかったと推測されます。ライプニッツはスピノザと接触を図るためにこのことをチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausに伝え,チルンハウスを介してシュラーGeorg Hermann Schullerも知るところとなったのですが,アムステルダムAmsterdamでマイエルおよびイエレスと会ったときは,その目的すなわちスピノザと会見することは決まっていたのですから,そのことをマイエルにもイエレスにも伝える必要はないからです。したがって,マイエルもイエレスも,ライプニッツがスピノザに会うということ,事後的にいえばスピノザとライプニッツが面会したということは間違いなく知っていたと考えなければなりませんが,スピノザとライプニッツの間で書簡のやり取りがあったことは,知らなかった可能性があるということを想定しなければなりません。僕が作る物語は,この想定の下での物語です。したがって,書簡四十五と書簡四十六は,遺稿集Opera Posthumaを編集するときにスピノザの遺稿の中に残されていたので,それによってマイエルとイエレスは,スピノザとライプニッツが書簡を交わしていたことを初めて知ったということになります。同時に,これらの書簡からは,その後にも文通が継続したことを匂わせる記述があったのですが,そうした書簡は遺稿の中に残ってなく,さらに書簡七十と書簡七十二も残っていなかったために,マイエルもイエレスも,またほかの編集者たちも,実際にはふたりが計画していた秘密裏での文通は行われなかったのだと判断したのでしょう。よってシュラー以外の編集者は,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題としたやり取りがライプニッツとスピノザの間に存在したという事実を知らなかったのです。
『神学・政治論』を主題とした文通および書簡七十と書簡七十二がスピノザの遺稿の中に残っていなかったのは,遺稿集を編集する以前の段階で,それらすべてが抜き取られていたからです。もちろんそれは意図的に抜き取られたのです。だれがそれらを抜き取ったのかといえば,ここまでの物語から,シュラー以外にはあり得ないことになるでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます