スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑰-2&物語の骨子

2020-08-25 18:54:32 | ポカと妙手etc
 ⑰-1の第1図では僕にも目につく一手があります。それは☖5七飛と王手馬取りに打つ手です。実際にその手が指されました。
                                        
 先手はいくら詰まないからといって馬を取られてはいけません。ですからここでの応手が☗6六玉しかないことも僕には分かります。当然その手が指されました。
 僕程度の棋力ですと,この局面で最初に思い浮かぶのは☖5八飛成になります。飛車取りになっているので飛車を処置しなければなりません。逃げるとすれば4七,3七,2七,5八,5九の5ヶ所ですが,5八なら金取りになるので,それが一番得と思えるからです。ただしこれは最初に思いつくというだけで,考えてみて負けということなら別の手を探すでしょう。そのうちのひとつは☖5五飛成ですが,これは☗同玉とされて角2枚では後手が勝てる気がしません。
 実戦は☖4八角という手が指されました。
                                        
 指されてみれば飛車を動かすよりはこの方が優れていることは僕にも分かりますし,おそらく時間を掛けて考えれば発見できる手だとは思います。この種の手がどの程度の時間で思い浮かぶのかということは,おそらく棋力を計測する上での指標となるのではないでしょうか。
 実戦はこの角が後に妙に働くことになるのですが,後手がそのことまで視野に入れていたかどうかは不明です。

 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題としたライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとスピノザとの間の書簡のやり取りと,そうしたやり取りがあったことを確実に証明してしまう書簡七十および書簡七十二は,遺稿集Opera Posthumaの編集作業に入る前の段階で,シュラーGeorg Hermann Schullerによって抜き取られいていたというのが,僕が作る物語の骨子になります。そしてもちろんシュラーはその行為を,ほかの編集者たちに知られないように遂行しなければなりません。というか,ほかの編集者たちに知られないうちに遂行したとしなければ,この物語は成立しないでしょう。この実行の方法は,ふたつ考えることができます。
 遺稿集が発刊されたのである以上,スピノザの遺稿は編集者たちが入手できるような措置が実際に講じられたのです。それが,この遺稿集が収められた机を,スぺイクHendrik van der SpyckがリューウェルツJan Rieuwertszに送ったということです。送られた遺稿がどのように管理されていたかは分かりません。ただ,スピノザの遺稿集を発刊することは,そのこと自体が罪に問われかねない行為でしたから,作業自体は水面下で進められたと考えるのが自然です。もっとも,この作業に関しては,編集者たちに対する未必の協力者もおそらくは存在したでしょう。そもそもライプニッツ自身が,だれがこの作業を行っているかということは知っていたにも関わらず,そのことをステノNicola Stenoには秘密にしておきました。カトリックの有力者であるステノにこのことが伝われば,編集作業は中断あるいは中止を余儀なくされるからです。つまりライプニッツは遺稿集を読んでみたいと思っていたからそうしたわけで,そのように思っていた人がほかにいて,その作業自体に積極的に協力するのではなくても,その作業が中止に追い込まれることは避けるべく行動したということがあったとしても,それはそれで不自然な話ではありません。
 少なくともシュラーは,編集作業が始まる前に,どんなに遅くとも当該のすべての書簡の存在がほかの編集者のひとりにでも知られる前に,それらを抜き取っておかなければなりません。遺稿がリューウェルツに送られてから,そのための時間がシュラーにどれほどあったか分かりませんが,それができた可能性も否定はできません。

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