スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

皐月賞&心の隙

2024-04-14 18:56:49 | 中央競馬
 第84回皐月賞。ダノンデサイルが馬場入場後に右前脚の歩行のバランスを欠いたために競走除外となって17頭。
 ビザンチンドリームは立ち上がってしまい3馬身の不利。メイショウタバル,シリウスコルト,ジャンタルマンタルの3頭が前に。アレグロブリランテ,ジャスティンミラノと続いてサンライズジパングとミスタージーティーとシンエンペラーが併走。ルカランフィーストとホウオウプロザンゲ,アーバンシックとコスモキュランダとサンライズアース,エコロヴァルツとウォーターリヒト。レガレイラが馬群の最後尾。ビザンチンドリームは離されてしまいました。1コーナーではメイショウタバルが単独の先頭に立ち,2番手にシリウスコルト。3番手がアレグロブリランテとジャンタルマンタルの併走に。メイショウタバルはここから後ろを引き離していき,向正面では8馬身くらいのリードをつける大逃げに。前半の1000mは57秒5の超ハイペース。
 メイショウタバルのリードは3コーナーでは6馬身。シリウスコルトが差を詰めていくとその外からジャンタルマンタルも追い上げてきて,直線の入口ではメイショウタバルに並び掛けて直線に入るとすぐに抜け出しました。追ってきたのはジャスティンミラノとコスモキュランダ。この2頭が競り合いながら内のジャンタルマンタルを差して優勝争い。先んじていたジャスティンミラノが凌ぎ,レコードタイムで優勝。コスモキュランダがクビ差で2着。内容はかなり強かったジャンタルマンタルは半馬身差で3着。
 優勝したジャスティンミラノはデビューから3連勝。共同通信杯に続く重賞2勝目での大レース制覇。前走と同じくらいの差をジャンタルマンタルにつけていますので,2頭とも力を発揮しての結果ということになるでしょう。ですからコスモキュランダはジャスティンミラノに遜色がない力量をもっていることになり,コスモキュランダとシンエンペラーの差も弥生賞と同じくらい。ホープフルステークスでシンエンペラーに勝ったレガレイラもそれと差がないところまできていますから,概ね各馬が力量を出した好レースだったといえそうです。レコードタイムはペースの関係もありますから何ともいえないかもしれませんが,この世代のレベルの高さの証という可能性もありそうです。キャリアを考えると将来性は上位馬の中で最も高いのではないでしょうか。父はキズナ
 騎乗した戸崎圭太騎手は昨年の安田記念以来の大レース21勝目。第78回以来となる6年ぶりの皐月賞2勝目。管理している友道康夫調教師は有馬記念以来の大レース21勝目。第69回以来となる15年ぶりの皐月賞2勝目。

 遺稿集Opera Posthumaが出版されれば手稿は捨てるものだから,それを廃棄したらステノNicola Stenoの手に渡ってしまったとか,捨てるのではなくチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが自らステノに渡してしまったというのは,推測としては短絡的だといえそうです。ただ,遺稿集が出版されれば,そこに『エチカ』は掲載されるのですから,チルンハウスにとって手稿が不要になるのは間違いありません。出版されればそれはシュラーGeorg Hermann Schullerからチルンハウスに贈られるでしょうから,もしも自身が『エチカ』を研究しようと思えば遺稿集に掲載されたものを利用すればよいのですし,もしかしたらチルンハウスは,スピノザの死によって,スピノザの哲学に対する関心を失ったり薄めたりしたかもしれず,その場合も手稿は不要になることになります。だから少なくともチルンハウスは,それまでは手稿を他人に見つからないような仕方で慎重に扱っていたと思われますが,こうした事情によって,失ってしまっても構わないというような気持ちが心の片隅に芽生えてしまったとしてもおかしくはありません。僕はステノが何らかの画策をして,『エチカ』の手稿をチルンハウスから略奪するなり騙し取るなりした可能性が最も高いと思いますが,チルンハウスの側にもそうなってしまう心の隙あるいは油断のようなものが,その時点ではあったのではないかと思います。
                                        
 ステノは『エチカ』の手稿を入手したのですが,そこにはひとつの欠点がありました。実はチルンハウスが所持していた手稿は,ピーター・ファン・ヘントが書いたものですが,それは後の筆跡鑑定で明らかになったということから理解できるように,ヘントが書いたということが手稿そのものに記載されていたというわけではありません。それと同様に,手稿の原稿がだれの手によるものなのかということ,つまりそれがスピノザの著作物であるということは,手稿には書かれていませんでした。つまりチルンハウスが所有していた手稿というのは,文字通りに『エチカ』の本文なのであって,スピノザの手によるものだということは書かれていませんでした。これはもちろん,その手稿が他人の手に渡ったときの危険性を低下させるのが最大の目的だったでしょう。

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