スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京優駿&慣性の法則

2024-05-26 19:20:31 | 中央競馬
 日本ダービーの第91回東京優駿。メイショウタバルは左後ろ脚の蹄の底の内出血で出走取消となり17頭。
 エコロヴァルツが逃げました。2番手にシュガークン。3番手はダノンデサイルとジャスティンミラノ。5番手にシックスペンス。6番手はジューンテイクとゴンバデカーブース。8番手はシンエンペラー。9番手はダノンエアズロック。10番手はサンライズジパング。11番手はレガレイラ。12番手はショウナンラプンタ。13番手はコスモキュランダ。14番手にビザンチンドリームとアーバンシック。16番手にミスタージーティー。最後尾にサンライズアース。最初の1000mは62秒2の超スローペース。
 向正面で最後尾のサンライズアースが外を上昇。3コーナーからはエコロヴァルツ,シュガークン,サンライズアースの3頭が雁行となり,そのまま直線に。この3頭の後ろはダノンデサイルとジャスティンミラノの併走。直線に入るとサンライズアースが一旦は脱落し,エコロヴァルツとシュガークンの競り合いとなったところ,エコロヴァルツの内に進路を取ったダノンデサイルと,シュガークンの外に進路を取ったジャスティンミラノが競り合う2頭の前に。そこからは内のダノンデサイルの伸び脚が優り,ジャスティンミラノを突き離して優勝。ジャスティンミラノが2馬身差で2着。ジャスティンミラノの外から追い込んだシンエンペラーが1馬身4分の1差で3着。
 優勝したダノンデサイルは京成杯以来の勝利。皐月賞は競走除外だったので,実質的には重賞連勝での大レース制覇。このレースは皐月賞の上位6頭はいずれもチャンスがあるとみていました。ダノンデサイルは皐月賞には出走できなかったのですが,未勝利を勝った直後に出走したラジオNIKKEI杯2歳ステークスは皐月賞で5着だったシンエンペラーから僅差の4着で,勝った京成杯の2着は皐月賞で4着だったアーバンシックですから,皐月賞の上位6頭と同等の力量があったということでしょう。差をつけて勝ちましたが,枠順や展開の利があってのものなので,そこまで明瞭な能力差があるというわけではないのではないかと思います。上位馬は能力が拮抗していて,勝ったり負けたりを繰り返していくことになるのではないでしょうか。父はエピファネイア。Decileは㎗のdの部分の完全形。
 騎乗した横山典弘騎手は2018年のJBCレディスクラシック以来の大レース制覇。第76回,81回に続き10年ぶりの日本ダービー3勝目。管理している安田翔伍調教師は2021年の東京大賞典以来の大レース6勝目。日本ダービーは初勝利。

 第三部定理七の論証Demonstratioは成功していると僕は考えますが,ただそれは,コナトゥスconatusが現実的本性actualis essentiaであることを証明しているだけです。もちろんこの定理Propositioはそのことをいっているので,それでいいのですが,現実的本性としてのコナトゥスがなぜ各々の個物res singularisにあるかは何も説明していません。実際にこの定理は,もしコナトゥスが現実的に存在する各々の個物にあるのであれば,それは各々の個物の現実的本性を構成するであろうというようにも読めるのであって,実際にそのような現実的本性が各々の個物にあるということを説明しているとはいえないでしょう。
                                         
 そこで國分は,現実的に存在する個物に,実際には國分は現実的に存在する人間にと限っていますが,これは同じことなので相違を気にする必要はないのでそのまま進めますが,なぜコナトゥスがあるのかということを,別の観点から説明することを試みています。別の観点というのは,実際にコナトゥスに触れている第三部定理六および第三部定理七とは無関係といえる観点です。
 『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第三部定義三は,運動への傾向を説明しています。これは思惟Cogitatioのことではなく,物質部分が運動へ傾く位置にあって,何らかの原因causaによって妨げられなければ,ある方向へ赴いているであろうという意味だとされています。これは物理学の用語でいえば,慣性の法則といわれるものであって,運動している物体は,その運動を妨げる原因がない限り運動し続けるということを,ここでは運動への傾向という語で表しているのです。
 この運動の傾向というのは,新潮文庫版で畠中が訳注を入れているように,ラテン語ではconatus ad motumです。つまりここでコナトゥスという語が使用されているのです。つまりスピノザは,慣性の法則を説明するときに,コナトゥスという語を用いているのです。國分はこの点に着目しています。スピノザが,これを思惟のことではないといっているのは,運動への傾向というのが,その運動をしようとしているということではないということをいいたかったためで,単に運動に傾く位置にあり,それを妨げる原因がないということにすぎないといいたいのです。

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