スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&肯定的実践

2017-12-14 19:25:51 | 地方競馬
 第17回名古屋グランプリ
 前走とは違って無難に発馬したクリノスターオーがハナへ。カツゲキキトキトが2番手でマーク。この後ろはコーナーワークで順位に変動はあったもののメイショウスミトモ,サクラビクトワール,トップディーヴォ,タガノディグオ,オールブラッシュの5頭で一団。それらの後ろがストゥディウムとトウシンイーグル。ここまでの集団から離れてドラゴンエアル。そしてブランニューとアサクサポイント。スローペースでした。
 2周目の向正面からペースアップ。2番手のカツゲキキトキトにトップディーヴォが並び掛けたためカツゲキキトキトも動いてクリノスターオーと3頭で雁行となってコーナーへ。内にいたメイショウスミトモがこれらの後ろを追走し,5番手以下は離れました。直線の入口ではカツゲキキトキトとトップディーヴォが並ぶように先頭へ。メイショウスミトモはここからこの2頭の外へ持ち出し,あっさりと2頭を交わして抜け出し優勝。トップディーヴォが1馬身半差で2着。カツゲキキトキトが1馬身半差の3着。
 優勝したメイショウスミトモは前々走のシリウスステークス以来の重賞2勝目。昨夏にオープンを連勝していたのですが,その後の戦績からそのときは驚くような結果でした。ただ内容はとてもよいもので,距離を伸ばしたことが重賞制覇につながったのではないかと思われ,それならさらに距離が伸びるここでもっとよさが出る可能性があるのではないかと考えていました。おそらく長距離の適性が高い馬で,地方競馬の馬場への適性も高いタイプと思われますから,長い距離の重賞では今後も目が離せない存在でしょう。スローな展開から上がりの競馬になったのもこの馬には味方したものと思います。父はゴールドアリュール。7つ上の半兄に2007年にユニコーンステークスを勝ったロングプライド。母の1つ上の半兄がウイングアロー
 騎乗した古川吉洋騎手と管理している南井克巳調教師は名古屋グランプリ初勝利。

 悪malumの否定negatioについても言及しておけば,理性ratioないしは徳virtusは,それ自体で悪を否定することはありません。というか,第四部定理六四により,悪の認識cognitioは混乱した認識であり,理性による認識すなわち精神の能動actio Mentisによる認識は十全な認識であるので,理性は悪をそれ自体で認識することがありません。このことは第四部定理六四系から明らかです。ですから理性ないしは徳によっては悪を認識すること自体が不可能なのであり,よってそれ自体でそれを否定することも不可能であることになります。そして,善悪というのは比較上の概念であり,ふたつ以上のものが認識された上で一方が善bonum,他方が悪と認識され得るということに注意するなら,悪が認識されないということは善も認識されないということです。したがって理性による肯定および否定というのは,哲学的肯定ないしは哲学的否定だけを意味します。いい換えればここでは善が肯定され悪が否定されるというより,真理veritasが肯定され虚偽falsitasあるいは誤謬errorが否定されるのです。よって第一部定理一六を理性的に認識するとき,自然の多様性は必然的な真理であると認識されることになりますから,それは全面的に肯定されることになるのです。他面からいえば部分的にすら否定することは不可能になるのです。
                                 
 これにより,スピノザの哲学が自然の多様性を肯定しているということは明白になったといえるでしょう。このことは,哲学的な実践と大きく関係してくることになります。おそらくスピノザの哲学は論理的に自然の多様性を肯定するということよりも,それが肯定されるということによって,いかなる実践が肯定されることになり,逆にいかなる実践は否定されることになるのかということの方が重要なのです。これはもはや『ゲーテとスピノザ主義』の範疇を大きく逸脱し,ことによるとゲーテJohann Wolfgang von Goethe自身の関心からも逸れることになるかもしれないのですが,スピノザは哲学的論理よりも哲学的実践を重要視したという形跡がありますので,最後にこの点についても僕の考えを示しておきましょう。いわば肯定的実践とはいかなる実践であるのかということです。
 ここでもまず第四部定理四に着目しなければなりません。
コメント
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