スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

デイリー盃クイーン賞&乗り越えるべき壁

2017-12-07 19:33:04 | 地方競馬
 昨晩の第63回クイーン賞
 大方の予想通りにプリンシアコメータがハナに。2番手にはアンデスクイーン。3番手がタガノヴェローナ。4番手はタイムビヨンドとアンジュデジール。6番手にオヤジノハナミチ。7番手にティルヴィングとラインハート。ここまでの8頭はひとつの集団。タッチデュールだけが大きく取り残されて1コーナーを通過。向正面に入るとオヤジノハナミチが脱落していき集団は7頭に。最初の800mは49秒5のミドルペース。
 3コーナーを回ると2番手のアンデスクイーンの手応えが徐々に怪しくなり,その内を回ったアンジュデジール,外を回ったタガノヴェローナ,さらに外を回ったラインハートが集団に。直線に入ると少しだけ外に出たアンジュデジールが逃げるプリンシアコメータを捕まえにいこうとしましたが,むしろプリンシアコメータの脚色の方が優勢。楽に逃げ切ったプリンシアコメータが優勝。3馬身差の2着にアンジュデジール。さらに5馬身差の3着にラインハート。
 優勝したプリンシアコメータは重賞初勝利。1600万の身で前走は大レースに挑戦し,不利を受けた上で僅差の2着。このレースはハンデ戦でしたが,自身が重い斤量を背負ったわけではなく,軽い斤量の馬がいたというケース。こういう場合はダート戦では実力通りに決まることが圧倒的で,実際にこのレースは着差ほどの力差があるのではないとしても,強い順に入線したといえると思います。逃げることができなかった場合はまだ分からないのですが,少なくとも純粋な競走能力としては,現時点で牝馬のダート路線ではトップに近いところまでいっている可能性があると思います。クイーンマンボとの対戦が楽しみなるようなレースでした。母の全姉に2004年のNARグランプリ最優秀牝馬のベルモントビーチ。Cometaはイタリア語で彗星。
 騎乗した岩田康誠騎手は第52回,56回に続き7年ぶりのクイーン賞3勝目。管理している矢野英一調教師はクイーン賞初勝利。

 あるものについてそれが完全であるといわれるならば,それはそのものに対する全面的な肯定であり,逆にあるものが不完全であるといわれるのであれば,それはそのものに対する全面的否定であるか部分的否定であるかのどちらかであるということは,自明であるといっていいかもしれません。すると第二部定義六により,実在するあるいは実在し得るすべてのものはそれ自身の実在性realitasを有しているのですから,それ自身において完全であるということになり,それ自身として肯定されているということになります。しかるに第一部定理一六から,自然のうちには,あるいは延長の属性Extensionis attributumに限定したとしても延長の属性からは,無限に多くのinfinitaものが発生するのですから,自然の多様性,またはゲーテJohann Wolfgang von Goetheの芸術作品にみられる意味での物体corpusの多様性が,スピノザの哲学のうちでは全面的に肯定されているのであって,部分的にすら否定されていないということが分かるのではないでしょうか。
                                 
 僕たちは生きていく過程の中で,多くの悲しみtristitiaに遭遇します。他面からいえば,第四部定理八により,僕たちに悲しみを齎すものとしての悪malumに遭遇します。ところがそうしたものもそれ自身においては完全であり,したがって肯定されていると考えなければなりません。要するに僕たちは僕たちが悪とみなすものについても肯定しなければならないことになり,これはそれ自体でみるととても不条理なように思えます。この部分は乗り越えなければならないある種の壁であるということができるでしょう。
 このことと最も関連するのは,まず第三部定理五九により,僕たちが悲しみを感じるのは受動passioによってであるということです。このことから第四部定理六四にあるように,僕たちがあるものを悪であると認識する場合には,そのものを十全には認識していない,いい換えれば混乱して認識しているということが帰結します。いい換えればもし僕たちがすべてのものを十全に認識するのであれば,僕たちは悪を認識するということはありません。これは第四部定理六四系が示している通りです。
 ただし,だから僕たちが悪を認識せずに生きていくことができるということにはなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする