スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニキーヤ&植物実体の定義

2017-12-02 19:44:49 | 血統
 先月のマイルチャンピオンシップは3歳馬のペルシアンナイトが勝ちました。1993年にアメリカで産まれた祖母のニキーヤがこの馬の輸入基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバー9-h。Nikiyaはインドのヒンズー教の寺院を舞台にした古典バレエに登場する踊り子の名前。そのバレエがLa Bayad`ereで,ニキーヤの産駒の1頭はラバヤデールと名付けられています。
                                     
 繁殖生活は日本で送りました。2頭目の産駒がゴールドアリュールで,早々に大物が輩出したことになります。
 ラバヤデールはゴールドアリュールのひとつ下の全妹。JRAで3勝した後,繁殖牝馬となり,2014年にマーチステークス,今年は小倉サマージャンプを勝ったソロルの母になりました。ソロルはソーラといわれることもあるラバヤデールに登場する兵士で,ニキーヤと恋仲になります。
 ラバヤデールのふたつ下の全妹はJRAで4勝。この馬が繁殖牝馬となってペルシアンナイトの母になりました。
 ペルシアンナイトの5つ下の半弟はゴールスキー。2014年に根岸ステークスを勝ちました。
 ニキーヤの5つ下の半妹も後に繁殖牝馬として輸入されました。その馬からは一昨年のクイーン賞を勝っている現役のディアマイダーリンが輩出しています。
 枝葉はこれからも広がっていく系統だと思います。3頭目の大レース制覇を達成する一族の子孫が出てくる可能性もあるでしょう。

 僕は十全な観念idea adaequataを定義した第二部定義四のうちには,十全な観念の発生は含まれていないと考えます。しかし観念を定義した第二部定義三は,かつて考察したように,観念の発生を含んでいると考えます。したがって観念が実在的有であるということは,その観念の対象ideatumとは無関係に,いい換えればある観念の対象が何であるかを考慮せずとも,『エチカ』においては保証されているのであり,よって観念をある観点すなわち本来的特徴denominatio intrinsecaという観点からみた場合の十全な観念もまた実在的有あるいは客観的有esse objectivumであることが保証されていると考えます。
 ゲーテJohann Wolfgang von Goetheがそれをどう考えていたかは分かりませんが,僕がいっている植物実体,ゲーテのいい方に倣えば植物の原型あるいは象徴的植物が,このような発生を含むような仕方で定義をすることができるものであるとは僕は考えません。ですがそれを客観的なあるいは思惟の様態cogitandi modiとして真verumなるものであることを保証するような定義Definitioを作ることは可能であると思います。たとえば個々の植物が有するような本性essentiaに共通するような要素を有するものを植物の原型というとか,あるいはこのようないい回しが許されるのであるとすれば,すべての植物が有する本来的特徴を有するようなものを象徴的植物という,というような定義の仕方です。それは植物の原型ないしは象徴的植物の発生はまったく含むことができないでので,観念であるということはできないでしょうが,虚構としての理性の有entia rationisであるということはできるでしょう。実際,定義においてはそれが有であるか無であるかということより,真であるか偽であるか,あるいは真であり得るか偽であり得るかということの方が重要である場合があるのであって,その条件の下には,これが植物実体の定義であるということはできます。第一部定義三というのは実在的realiterにも援用できますが,形而上学的にも援用することができる定義であり,植物実体の定義は単に形而上学的には援用できるけれども実在的には援用することができない定義であるという限定があるという相違がそこにはあるだけです。
 もちろん,これは一例で,ゲーテに都合のよい定義の仕方はほかにもあるでしょう。
コメント
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