スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

イワンの認識&市電

2016-06-23 19:15:25 | 歌・小説
 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』でスピノザが示した人間の神に対する服従の条件のひとつに,人が悔い改めた場合には神は許さなければならないというものがありました。スピノザによれば罪を犯さない人間はだれもいないので,悔い改めても許されないとするなら,だれも救いの希望をもてないし,神が憐れみ深いと信じる理由が欠如してしまうために,これが条件として必須になるのです。
 僕はこの条件から,いくつかのことを連想します。その代表的なものは,『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの苦悩です。このイワンの苦悩はあるいはドストエフスキー自身の苦悩とリンクしていたかもしれませんが,ここではだれの苦悩であるのかということは問わず,苦悩そのものに注目します。
                                     
 物語上に表出されるイワンの苦悩というのは,神の存在に関わるものです。端的にいえばイワンは神が存在するということに確信を抱けず,他面からいえば神の不在に対する疑念を抱かざるを得なかったのです。それは世界には,もしも神が存在するならば生じ得ないとしかイワンには思えないようなことが,現実的に生じていたからです。
 これはおそらくイワンの秘めた「父殺し」の願望とも関係しています。イワンはもしも神が不在ということになれば,どんな行いも許されるようになると認識していました。つまりもしも神が不在であるなら,父を文字通りに殺してしまっても許されると認識していたことになります。ですがイワンは神の不在についても疑念を抱いているだけで,それについての確信もありませんでしたから,スメルジャコフに対するイワンの使嗾があったとしても,自分の手でフョードルを殺すには至らなかったのです。
 スピノザの主張とイワンの認識には一見すると大きな懸隔があります。なので僕はスピノザの服従条件から,イワンの思想を連想してしまうのです。

 横浜市の市電というのは僕が産まれたときにはまだ走っていました。廃止になったのは僕が1歳のとき。最後の市電は花電車として走り,は僕とそれを見に行って,僕を肩車したと話しています。ですが僕にはその記憶はありません。産まれたときには確かに走っていたのですが,僕は乗ったことはもちろん走っているのを見たという記憶もありません。
 現在の横浜市営バスの路線の中には,当時の市電の路線の名残があります。たとえば101系統というバスは,根岸駅から本牧,元町,桜木町,そして僕が11日に行った浅間町を経由して保土ヶ谷車庫まで行きます。僕は本牧にはよく行きますし,この系統は本数も多いのでよく利用します。しかしなぜこのような奇妙な路線のバスがあるのかは不思議に思っていました。ですが保土ヶ谷車庫を出てこれとまったく同じ経路を辿り,最後は根岸駅から八幡橋まで向うという市電の路線があったことを知りました。八幡橋でバスが引き返すということはできないので,現在は根岸駅までしか通っていませんが,これは明らかに往時の市電の路線をそのまま走るバスなのであり,こういう路線が現存する理由はここにあったのだと知ることになったのです。
 12月12日,土曜日。妹の土曜出勤でした。12月はクリスマス会です。
 12月13日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。カラオケでした。
 12月14日,月曜日。妹の遺伝科の通院でした。この日も午後1時から。診察のほかに身体測定を行ったそうです。僕はこの日は長者町。帰宅は午後4時25分でした。
 12月17日,木曜日。施設で妹の認定面接というのがありました。これは2年に1度という頻度で実施されているものです。面接自体は大した内容ではないのですが,妹の診断書が必要になるので,それだけは準備しておかなければなりません。午後2時から母と施設の担当者および区の担当者で実施され,その後で作業所の方に行って妹にもいくつかの質問がされます。施設が実施するのではなく市が実施しているのですが,場所は施設です。施設の担当者の話も必要とされるからだと思います。僕はこの日は東神奈川でした。
コメント
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