スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

別府八湯ゆけむりカップ&廃品回収

2016-06-06 19:03:50 | 競輪
 昨日の別府記念の決勝。並びは新山‐根本の北日本,武田‐芦沢の茨城,岡村‐中村‐江守の南関東,三谷‐池田の西日本。
 岡村も出ていきましたが外から根本が交わしていき新山の前受けに。3番手に岡村,6番手に武田,8番手に三谷の周回に。残り2周半のバックに入る前から早くも三谷が上昇。バックで新山を叩きました。武田が続き,さらに岡村が芦沢の後ろ。新山が8番手まで引いて一列棒状でホームに。ここから新山が動いていくと武田も動いて三谷の前に。インを斬って待つ作戦だったと思われますが,バックでインが開いたので岡村がそこを突いて上昇。前を抑えた新山の番手で粘る形で打鐘。番手戦はホームの出口で岡村が奪取して根本は後退。後方になった三谷はホームで巻き返していこうとしたものの武田に合わされて不発。その武田も捲っていったものの,浮いた根本を避ける必要があったこともあり岡村の後ろあたりで一杯。岡村が逃げる新山を直線で差して優勝。新山と岡村の中を割った江守が4分の3車輪差で2着。岡村マークの中村は岡村の外に行き4分の3車輪差の3着で南関東の上位独占。
 優勝した静岡の岡村潤選手は記念競輪初優勝。このレースは武田を除けば大きな実績のない選手が多くなりました。その武田も今年は明らかに不調。この開催は3連勝で決勝に進出したもののいずれも番手戦でのもので,自力で同じように力を発揮できるかはやってみなければ分からなかったところ。その意味でどの選手にも優勝のチャンスがあるのではないかと思えるようなメンバー構成でした。打鐘前のバックで武田が内を開けたのは展開上は仕方なかったと思います。芦沢が閉めていればまた違ったレースになっていたでしょうが,それができるような状況でもありませんでした。前の隙を狙ってうまく上昇し,3番手に入るのではなくて番手を狙いにいった走行が岡村の優勝を大きく引き寄せたといえそうです。

 7月19日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。ボーリングでした。
 7月20日,月曜日。祝日でしたのでピアノのレッスンがありました。午後3時から。元々は午後5時からの予定であったのですが,前夜に先生から電話の連絡が入って変更になったものです。僕はこの日は川崎で帰ったのは午後4時50分。このときにはすでに先生は帰った後でした。
 7月21日,火曜日。妹がショートステイへ。荷物があるので迎えを依頼しました。南区の施設を利用したもので,1泊でした。僕はこの日は横浜で,午後3時45分には帰宅しています。
 7月22日,水曜日。アパートの叔父に,朝のうちにアパートに来てほしいと依頼されていました。叔父は五島列島への引越しが決まっていましたので,アパートにある荷物の整理が必要でした。このうちタンス2棹は持っていかないで捨てることにして,廃品回収の業者を依頼してありました。ただ,事前に指定された場所,といってもこれはアパートの通りに面したところなのですぐ近くではありますが,回収する前にそこに出しておくように言われたようです。その回収の日がこの日で,ですが叔父ひとりだけでは持ち運べないものでしたので,僕が手伝うことになったものです。朝の僅かな時間ですから何も問題はありませんでした。僕はこの日は長者町で帰ったのは午後4時25分。妹のショートステイは1泊でしたからこの日は送ってもらうように依頼してありましたが,妹の方が先に帰っていました。水曜日は作業所の作業が午後3時までですので,その時間なら妹が先に帰っているのが当然です。
 7月23日,木曜日。この日も保護者会がありました。僕はこの日は本牧で,帰途に妹に会いました。帰ったのは午後4時45分です。
 7月26日,日曜日。この日もガイドヘルパーを利用しました。先週がボーリングでしたからこの日はカラオケ。ずっとこのパターンが続いています。
 8月3日,月曜日。母と日野公園墓地に墓参りに行きました。父の命日は翌日ですが,ふたりの都合を合わせるにはこの日の方がよかったからです。いつものように帰りに昼食を摂って家に戻りました。
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