スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理五七備考&2015年9月の通院

2016-06-14 19:30:04 | 哲学
 第三部諸感情の定義二八の高慢と,第三部諸感情の定義二九の自卑abjectioは,概念上の反対感情に該当します。しかしスピノザは高慢な人間の特質proprietasを説明した第四部定理五七の直後の備考で,次のようなことをいっています。
                                     
 「自卑は高慢の反対であるけれども,自卑的な人間は高慢な人間にもっとも近い」。
 これはもしかしたら人を当惑させるような主張であると思われるかもしれません。しかしスピノザが自卑的な人間が高慢な人間に近いというとき,その感情に着目しているのでは必ずしもありません。むしろそれらの感情がその当人に齎す特質に多く着目しているのです。
 高慢な人間とは自身について正当以上に評価する人間のことでした。このゆえに高慢な人間は,それが阿諛追従の徒でない限り,他者に関しては正当以下に評価することになります。つまりそういう他者を正当以下に評価する人間もまた高慢な人間といわれるのです。したがって高慢な人間は,そうした他者についてはその幸福を悲しみ,不幸を喜ぶことになります。これは第三部諸感情の定義二三のねたみinvidiaです。つまり高慢な人間はねたみ深いのです。
 一方,自卑的な人間は自身を正当以下に評価するので,他人を正当以上に評価してしまいます。そこでもしも他人の評価を落とすことができるなら,自卑という感情から逃れられることになります。なので自卑的な人間も,自分が比較して自分を正当以下に評価する要因となっている他者については,その幸福を悲しみ不幸を喜ぶことになるのです。つまり高慢な人間と同じようにねたみ深くなるのです。
 「自卑者ほど多くねたみに傾く者はないこと,彼らは是正してやるためによりも,とがめだてするために熱心に人々の行為を観察することに努めること,最後にまた彼らは自卑のみを賞賛し,己れの自卑を誇り,しかも自卑の外観を失わないようにしてそれをやる」。
 高慢が悪質な感情であるのと同じように,自卑も悪質な感情だとスピノザは考えているのです。

 実際に診察が始まったのは午後2時45分でした。最近はとても待たされるというケースは少なくなっていて,これでも待った方だといえます。
 この日のHbA1cは7.0%でした。7月の通院のときと同じだったことになります。前々からいっていますが,僕の血糖値というのは暑い時期ほど良好にコントロールできる機会が増します。このときが最も暑い時期を含む値でしたから,本来ならもう少し下がってもいいところだったかもしれません。ただ中間に体調不良の時期があり,その前後は血糖値の高騰を招いていましたから,その分が例年の夏の時期に上積みされたと考えることはできると思います。いずれにしてもこの数値であれば特に問題視しなければならないというものではありませんでした。
 この日の数値でほかに異常があったのはひとつだけでした。これはナトリウムで,134mEq/ℓと,下限の値をやや下回っていました。これも7月に続いての異常で,しかし7月よりは正常値に近付いていたというものですから,とくに問題とされるものではありません。
 前回の診察のときに耳鳴りの話をして,耳鼻咽喉科を受診する予約を入れてもらっていたこともあり,診察後の話の中でそのことを尋ねられました。僕は受診はしたこと,しかし完治するということはなかったということ,でも耳自体に異常がなければ耳鳴りが聴こえ続けることは構わないという主旨のことを答えました。
 そして最後に,血糖値の管理はわりと良好な部類に属するので,診察と診察の間隔をもう少し開けてもいいのではないかという主旨の話がありました。もちろん僕のHbA1cは常に上限値を上回っているので,良好な部類に属するというのは,Ⅰ型糖尿病の患者の中ではという意味です。そういうことでしたので,次からはもう少し間を長くして通院するということに決まりました。通院の回数という意味では楽になります。ただ血糖値測定のためのキットはその分だけ多く受け取らなければなりませんから,荷物は増えることになりました。
 帰途に薬局へ。間隔が長くなったのでインスリンや注射針の量も増えています。ですが在庫は足りていました。
コメント
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