スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

イワンの使嗾&メシアの再来

2015-06-25 19:18:05 | 歌・小説
 『カラマーゾフの兄弟』でスメルジャコフがフョードルを殺すのは,イワンの使嗾によるものです。ただ,この使嗾は,『悪霊』のフェージカによるマリヤ殺害がスタヴローギンの使嗾によるものであるというのとは,やや意味合いに異なるところがあると僕は理解しています。
                         
 スメルジャコフは3人の兄弟のうち,イワンに対しては好感を抱いていました。あるいは私淑していたといってもいいでしょう。それでスメルジャコフは,イワンの精神のうちに,フョードルに死んでほしいという願望があるということを確信するに至り,フョードル殺害を実行するのです。テクストとしてこれがはっきり明示されるのは,殺害後に,スメルジャコフがイワンのために殺したのだと明言する部分だと思います。
 イワンはこのスメルジャコフのことばを聞いて,確かにフョードル殺害の実行犯はスメルジャコフだったけれども,事実上の犯人は自分であると思うようになります。あるいは意識するようになります。このためにイワンは罪悪感にひどく苛まれるようになるのです。
 イワンの精神のうちに,フョードルに対する「父殺し」の願望が,前々からあったということは間違いないでしょう。ただ,イワンがそれを自覚していたかといえば,必ずしもそうはいえないと思うのです。むしろスメルジャコフの方が敏感にイワンの無意識を察知し,その願望を代行した後で,そういう願望があったことをイワンにはっきりと自覚させたと読解できるようになっていると思います。
 フョードル殺害に有利な状況をイワンが拵えたのは,イワンの意識下の父殺しへの願望がなしたことだと解することはできます。スメルジャコフの殺人がその欲望の代行であるのも間違いないですが,イワンが意図的にスメルジャコフを唆したというのとは,この使嗾は異なっていると考えます。

 ファン・ローンがニューヨークに旅立つ前,レンブラントの自宅で初めてメナセ・ベン・イスラエルと会って話をしたとき,ローンは一緒にアメリカに行かないかと誘いました。これは冗談です。ところがメナセは真面目な誘いと受け取ったようです。そして是非そうしたいのだけれどもユダヤ民族が荒野から出る時節はまだ到来していないと答えました。さらに続けて,まだ太平洋が陸地続きだった頃に,行方不明となっているユダヤ民族はアメリカへと渡り,すでに当地で暮らしているという主旨のことを言いました。
 これはローンが記している通り,異常な発言です。その場に居合わせたメナセ以外の人びとが互いに顔を見合わせたといっています。ローンはスピノザとも平然と交際を続けたように,この時代としてはかなりリベラルな思想を有していました。この場にいたほかの人たちがローンほど自由思想の持ち主であったかは分かりませんが,仮にそうでなくてもこのメナセの発言を訝しく思って不思議ではないでしょう。とりわけローンには笑いを堪えなければならないような内容ではなかったかと推測します。
 このうち,行方不明のユダヤ民族がアメリカに渡った云々の話は関係ありません。ローンが,ユダヤ民族が荒野から出る時節がまだ来ていないといっている点に注目します。裏を返せばこれは,いずれはそういう時節が到来するということを,メナセはユダヤ教徒として,あるいは律法学者として確信していたということの証明であるといえるからです。
 渡辺がいっている通り,ジャン・ルイの手紙に書かれている内容が起こったのが1950年であるとするなら、前の発言からは7年後のことになります。そのときにはメナセは,メシアの再来が近付いているという考えを持っていました。だからその機会を逃さないために,なるべく近いうちに,ユダヤ人が世界の各地に定住しなければならないと表明しています。メシアが地上のどの地を選んで降りてくるかは分からないからというのがその根拠です。
 これらはメナセ個人の考えです。当時のユダヤ教徒のすべてが,メナセと同じように考えていたわけではありません。
コメント
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