スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

皐月賞&平行論からの帰結

2016-04-17 19:21:54 | 中央競馬
 第76回皐月賞
 ミッキーロケットは立ち遅れ。ディーマジェスティは左によれるような発馬でした。先手を奪ったのはリスペクトアース。やや気負っていたと思えるリオンディーズが単独の2番手に。ジョルジュサンク,マウントロブソン,アドマイヤモラールの3頭が一団で続きこの後ろのエアスピネルまでが先行集団。アドマイヤダイオウが少し離れて中団馬群の先頭。ドレッドノータス,サトノダイヤモンド,ロードクエストと続いてウムブルフとナムラシングン,プロフェットとディーマジェスティまで差がなく続きました。後方に控えたのはミライヘノツバサ,マカヒキ。後手を踏んだミッキーロケットがいて,トーアライジンはぽつんと取り残されました。最初の1000mは58秒4で,最も落ちたラップが800mから1000mにかけてですから超ハイペースといっていいと思います。
 3コーナーを回るとリスペクトアースは一杯になりリオンディーズが単独の先頭に。追ってきたのはマウントロブソンとエアスピネルの2頭。さらにその外へサトノダイヤモンドでナムラシングン,ディーマジェスティも追いついてきました。ディーマジェスティは坂の辺りで一旦はスピードが鈍ったかにみえましたが,そこからまた再加速。内で競り合う馬たちを尻目に一気に抜け出し優勝。離れた大外から追い込んだマカヒキが1馬身4分の1差で2着。サトノダイヤモンドが1馬身4分の1差で3着。リオンディーズは4着入線でしたが直線の半ばで外によれてしまい,裁定の結果,エアスピネルが4着,リオンディーズが降着の5着で確定しています。
 優勝したディーマジェスティは共同通信杯を勝ってここに直行。2着を2回続けた後,初勝利を挙げて4戦目で重賞制覇でしたから,例年なら上位に支持されていい馬。今年はレベルの高いレースを続けていた馬がいたため,横の比較で軽視されていました。2着から5着までが能力が高いことが判明していた馬たちで独占されたレースですので,この馬もそれと同等か,あるいはそれ以上の能力があったということでいいのではないでしょうか。今後の活躍も約束された内容であったと思います。父は第65回を制したディープインパクトで父仔制覇。祖母の半兄に1997年のマイラーズカップとセントウルステークスを勝ったオースミタイクーン
 騎乗した蛯名正義騎手は昨年のエリザベス女王杯以来の大レース制覇。第74回以来2年ぶりの皐月賞2勝目。管理している二ノ宮敬宇調教師は一昨年の阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース制覇。皐月賞は初勝利。

 形相的に存在するどんな事物も知性は概念することができるというテーゼ,逆に知性が矛盾なく概念することができる客観的有すなわち観念の対象は必然的に観念の外に形相的に存在するというテーゼは,スピノザの哲学においては成立しているというのが僕の考えです。スピノザの哲学の根幹をなす平行論は,その両方のテーゼを是認しなければ成立しないと考えるからです。これでみれば分かるように,仮に事物の本性というものが知性に認識されることによってしか知られ得ないものであるとしても,知性がそれを十全に概念することができる以上,その本性というものは形相的な意味においても存在するといわなければならないと僕は考えるのです。ただしこれを僕は平行論からの帰結として主張しているのであって,唯物論的な考え方の下に主張しているのではないということには十分な注意を払っておいてください。そしてそのことに注意するなら,スピノザは本性が形相的な意味において存在するのか,観念すなわち客観的有としてのみ存在するのかという二者択一に対して,確たる見解をもっていなかったし,それをもつ必要もないと考えていたと僕が推測する理由も分かってもらえると思います。そのどちらかの立場を選択するということ自体,唯物論か観念論に肩入れする見解と受け止められる危険性がありますが,スピノザはそのどちらも誤りであって,平行論の観点からこれは解決されなければならないと考えていたと思われるからです。
                               
 とはいえ,ここでは人間の精神が人間の身体に対して優越的であったり特権を付与されていたりはしないという見解を僕が有していることの説明をすることが目的になってるのであり,事物の本性あるいは人間の身体の本性というものが認識されるものとしてのみあるのか,それとも形相的な意味においても存在するといえるのかということは,そのこと自体が目的なのではなく,僕の見解を示すための方法のひとつにすぎません。僕が特権を与えられていると考えている人間の本性が,人間の身体が存在するといわれるのと同じ意味で存在するということの説明としてはまだ不十分なので,もう少し検証を続けていきます。
コメント
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