スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

羽田盃&ふたつの本性

2016-04-20 20:41:20 | 地方競馬
 第61回羽田盃
 ラクテが逃げると宣言していたのですが,思いのほか手間取り,何発か鞭を入れて強引にハナへ。2馬身ほどでアンサンブルライフが2番手。さらに2馬身ほどあって3番手はフォクスフォール。1馬身差でジャーニーマンが続き2馬身ほどでタービランス。さらに2馬身ほどでトロヴァオが続くというようにかなり縦長の隊列に。最初の800mは49秒6のハイペース。
 ラクテは3コーナーで一杯。アンサンブルライフが先頭に代わりジャーニーマンが雁行。これらの直後にタービランス。アンサンブルライフもレースの前半はおそらく掛かっていたため直線に入ると息切れ。ジャーニーマンが先頭に立ってタービランスが並び掛けました。タービランスは余裕はあったようで騎手が後方を確認。そこから追い出されるとマークするように外から迫ったトロヴァオの追撃を凌いで優勝。クビ差の2着にトロヴァオ。2馬身差の3着にジャーニーマン。
 優勝したタービランス京浜盃からの連勝で南関東重賞2勝目。ここは力量は上位と思われましたが,昨日から外目の枠に入った差し馬の好走が目立っていたので,最内枠に入ってある程度は前にいくであろうと予想されたレースぶりがどう影響するか懸念していました。ばらける展開になったのはその懸念を払拭する要素になり得たと思います。外からの差しを凌いでいますから,着差以上の内容もあったものと思います。東京ダービーでも最有力候補になりますが,クビ差まで迫られたのも事実ですから,絶対視はできないかもしれないと思えました。Turbulenceは乱流。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手と管理している浦和の水野貴史調教師は京浜盃以来の南関東重賞制覇で羽田盃初勝利。

 延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumとの間の区別distinguereは実在的区別です。そして人間というのは,延長の属性の個物res singularisとしての物体corpus,すなわち人間の身体humanum corpusと,思惟の属性の個物としての観念ideaあるいはその集積としての知性intellectus,すなわち人間の精神mens humanaが合一したものです。第二部定義二は,事物の本性essentiaというものが,概念されるものとしてだけあるのではなく,その事物が存在するといわれるのと同じ意味において存在するといわれるものとしてもあるということを示しているというのが僕の解釈です。ここから理解できるのは,人間の本性というものは,実はふたつの仕方で考えることができるということです。いうまでもなくそれは,人間の身体の本性と人間の精神の本性です。
 このとき,人間の身体の本性と人間の身体の本性の観念が同一個体であるように,人間の精神の本性と人間の精神の本性の観念も同一個体でなければなりません。ふたつの平行論のうち,思惟の属性の中での平行論が成立しているということに注意すれば,これはそれ自体で明らかだといっていいでしょう。
 人間の身体の本性の観念も,人間の精神の本性の観念も同じように思惟の様態cogitandi modiです。他面からいえば,僕たちは人間の本性をふたつの仕方で考えるconcipereことができるのですが,どちらの仕方であろうと,考えるのは精神であって身体ではありませんから,そうした観念というのは人間の精神の本性にのみ属さなければならないのであって,人間の身体の本性に属することはできません。ただスピノザの哲学においては,第二部定理七により,同一個体は原因causaと結果effectusの秩序ordoと連結connexioが一致するので,身体の本性の観念が精神の本性にのみ属するのだとしても,それが何か重大な問題を齎すようにはなっていないのです。僕が平行論的な帰結として,一般に事物の本性はその事物が存在するというのと同じ意味において形相的にformaliter存在すると主張するときには,こうしたことが何も問題を生じさせないということまで視野に入れていることに注意しておいてください。
 人間の身体が現実的に存在するというのと同じ意味で,人間の身体の本性も存在すると僕が解する論拠については,これ以上は説明することはありません。
コメント
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