スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

よさこい賞争覇戦&第一部定理二五系の解釈

2016-04-18 18:57:07 | 競輪
 昨日の高知記念の決勝。並びは小松崎‐菅田の北日本,杉森‐武田‐神山の茨城栃木,深谷に中村で村上と松岡は単騎。
 深谷がスタートを取ってそのまま前受け。3番手に村上,4番手に松岡と単騎のふたりが続き,5番手に小松崎,7番手に杉森という周回に。杉森は打鐘前のバックでようやく上昇。深谷は誘導を外して臨戦態勢。杉森は打鐘後のコーナーで深谷を抑えようとしましたが,さすがにこの段階では深谷も引けず,ホームで深谷と杉森の先行争いに。これは脚力の違いもあり,深谷が難なく制して突っ張り先行に。バックで村上が発進。後ろにいた松岡と自力に転じていた武田が絡む形になり,単騎の捲りになりました。先行争いで脚を使っていた深谷はさすがに一杯。捲った村上の優勝。深谷の番手からスイッチした中村が4分の3車身差で2着。立て直して追い込んだ武田が半車身差の3着。
                                     
 優勝した京都の村上義弘選手は先月の日本選手権から一開催を挟んでまた優勝。記念競輪は昨年5月の平塚記念以来で通算31勝目。高知記念は2004年に優勝していて12年ぶり2度目の優勝。このレースは杉森が叩きにいくのがあまりにも遅すぎましたし,叩きにいくときのスピードも不十分でした。深谷もあそこから引くわけにはいかず,成り行きで先行争いになってしまったのは止むを得ないでしょう。こうなれば別ラインの出番ですが,中で最もよい位置にいたのが村上でした。こういう展開もあり得るとみての位置取りであったかは分かりませんが,結果的にベストの選択に。最近は展開に恵まれるケースが多く見受けられ,こういう選手はしばらくはマークしておいて損はないものと思います。

 スピノザは第一部定理二五備考の最後の部分で,この備考でいった事柄は後続の第一部定理二五系によってより明白であるといっています。
 この系でいわれている個物res particularisを,思惟の属性の個物すなわち個物の観念に限定することができないのはいうまでもありません。これはさすがに見解の相違さえ生じ得ないだろうと思います。するとこの系でスピノザがいっているのは,どんな属性のres particularisも,一定の仕方でそれが様態となっている属性を表現するということだと解さなければなりません。そしてそれは単にres particularisの存在が一定の仕方で属性を表現するのではなく,res particularisの本性も一定の仕方で属性を表現するということです。そういう意味に解釈しないと,これによって第一部定理二五備考で説明された事柄が明白になるといえないからです。ところで,もしもres particularisの本性がその属性を一定の仕方で表現するなら,それはそのres particularisが存在しているからにほかなりません。つまりres particularisが事物として存在するといわれるのと同じ意味において,res particularisの本性も存在するといわれなければならないのです。
 よって僕が解するところによれば,第一部定理二五,備考,系と続く一連の流れは,事物の本性が,事物が存在するといわれるのと同じ意味で存在すると主張しているのでなければ辻褄が合わないのです。このとき事物の本性は,どんな属性の事物にも妥当しなければなりません。したがって事物の本性はその事物の客観的有esse objectivumとは異なる何かとして,形相的な意味において存在するということをスピノザは認めていると僕は考えるのです。
 このうち,事物の本性が,事物そのものが存在するといわれるのと同じ意味で存在するといわれなければならないということについて,僕は別の論拠もあると考えています。そしてそのことは,本性は形相的な意味においても存在すると僕が解するもうひとつの理由と大きく関係しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする