スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&僕の見解

2016-04-13 19:04:32 | 将棋
 鶴巻温泉で指された昨日の第9期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。加藤桃子女王と室谷由紀女流二段は公式戦では初対局。
 振駒で室谷二段が先手になり角道オープン向飛車。加藤女王は急戦を選択し,やや強引に仕掛けていきました。的確に応接した先手が優位に立ったと思われますが,後手も決め手だけは与えないように指し続け,長期戦になりました。
                                    
 先手が詰めろを掛けた局面。後手は△2五桂と王手で跳ねて自玉を広くしてから▲4七玉に△4一歩と受けました。先手はすぐに▲4二成銀と取り△同歩▲4四桂△3三王▲1五角と攻めました。これは最善ではなかったかもしれません。
 △2四銀と当てて受けたのは善悪どうこうではなく勝つためにはこれしかないと思います。そこで先手は▲1一角の王手。後手は3五に桂馬を捨てて3六から銀を打つという攻め筋があるので,香車を合駒するかと思いましたが△2二桂でした。
 ▲4八角と逃げたのは攻めの失敗を認めたような感もあります。後手は△6四香で挟撃体制を築き▲7一飛成に△3七香と打ち込みました。このように攻めたかったので,2二には桂馬を打って2枚の香車を温存しておいたのでしょう。ですがこれは敗着になりかねない順で▲7四飛成と香車を取っていれば先手が勝てていたようです。
                                    
 ここで▲2九銀と逃げて先手玉が詰みました。▲4九銀なら詰みはなかったのですが,局面自体は後手の勝ちになっているようです。
 加藤女王が先勝。第二局は27日です。

 一般に人間の本性人間の精神を等置してよいか否かという点に関しては,僕は否定的な見解を有しています。ただしこれは人間の精神と人間の本性に限定してのことではありません。もしも人間の精神が人間の本性と等置することが可能であるなら,もっと一般的に,ある事物の十全な観念とその事物の本性は等置することができるといわなければならないと僕は考えます。僕が否定的な考えを有しているのは,この点に関してです。つまり一般に事物の本性と事物の観念は等置することができないので,人間の身体の本性と人間の精神を等置することもできないのではないかと考えるのです。
 僕が思うにこれはスピノザの哲学を解釈する上での難題のひとつです。なのでこれについては等置できると考える人もいれば,僕のように等置できないと考える人もいるでしょう。後に述べるように,僕はもしかしたらスピノザはこのことについては確たる見解を有していなかった,あるいは確たる見解を有する必要はないと考えていたのではないかと今は思っています。なのでここから述べる説明は,あくまでも僕の一見解にすぎないのであり,それには反対の見解があるということ,もっといえば反対の見解からの反論にも妥当性があるということをあらかじめ前提しておいてください。
 かつてこのブログにおいて,私というものは観念の集合体であるのか,それとも観念を離れて形相的に存在するのかという主旨の質問をされたことがあったように記憶しています。僕はそれに対して,僕の見解として,観念を離れて形相的に私というものはあるという意味の解答をしました。このやり取りはたぶん本性と観念が等置できるかどうかということと大いに関係します。僕がそこで観念を離れても私というものがあると答えたのは,本性と観念との関係でいえば,観念を離れて形相的なものとして本性は実在するという意味になります。したがってその質問に答えた時点と同じ見解を,僕は現時点でも有しているということになります。
 本性が観念を離れてもあるというのは,本性は認識されるものとしてのみあるのではないという意味です。これが僕の見解の中心をなします。
コメント
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