スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&第二部定理三六との関係

2016-01-17 19:49:07 | 将棋
 岡田美術館で指された第42期女流名人戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流名人が21勝,清水市代女流六段が12勝。清水六段の勝利数の中には不戦勝がひとつあります。
 館長の振駒で里見女流名人の先手になり,5筋位取り中飛車に。清水六段は舟囲いで急戦。ねじり合いの中盤戦になりました。
                                    
 後手が5七の馬を寄ったところ。先手は▲7四飛△同飛と斬って▲5五馬。手順の調子は良いのですが実際に駒損で次の△3三桂が受けつつ銀当りになるので,成否は微妙だったと思います。
 ▲5三歩と叩いて△同金▲5四歩△6三金と5筋に拠点を作りました。この部分の交換は先手だけが得をしているように思います。とはいえ後手としては言いなりになるよりなかったところでしょう。
 ▲4四歩と打ったのは△4五馬で駒損の拡大が目に見えているので思い切った手と感じますが,後手も△同歩と応じました。玉のこびんですからこれも先手が言い分を通したといえそうです。
 せっかくなので▲同銀で銀が逃げてしまうのが有力と思えますが,おそらく狙い筋であった▲5三歩成△同銀▲6四馬の王手飛車の手順に進めました。ただ,銀が逃げていてもこの筋自体は残っていましたから,味を消してしまっという意味もあったかもしれません。
 △5四歩と受けて▲7四馬△同金▲7二飛の王手のときに△4二飛と受けました。受け一方に飛車を使うのでは普通はよくない筈ですが,この場合は好手順だったようです。ここから▲7四飛成△4五歩は必然と思います。
                                    
 第2図まで進むと先手が手を繋げるのは難しくなっているようです。これ以降はそのリードを後手が保ち続けたという一局だったのではないでしょうか。
 清水六段が先勝。第二局は24日です。

 能動属性と受動属性の間に「共通点」がないという形而上学的見解については,もう一点だけ考慮しておかなければならないことがあります。
 スピノザは第二部定理三六で,十全な観念と混乱した観念は同一の必然性で生じるといっています。この定理の主旨に関しては僕には分からないところがあるのですが,ここではXの十全な観念とXの混乱した観念は発生する必然性が同一であると解しておきます。この場合,一般的な意味において同一の必然性で生じるというのではなく,それらが発生する秩序と連結が同一であるという意味を含んでいると理解しておきます。この理解はことによるとスピノザが示そうとした事柄から逸脱しているおそれがあるかもしれないのですが,これくらい厳しく理解しておいた方が,僕の主張が成立するということに対する反論としてはより有効と思えます。
 僕はそれに対しては,能動属性と受動属性との間に,平行論のような関係を導入することによって解消できると考えます。平行論のような関係といい,平行論といわないのは,平行論はあくまでも観念対象ideatumと観念との間に成立するものであるのに対し,この場合にはそれと異なっているからです。
 第二部定理七証明の意味で示したように,ものと観念の秩序と連結が一致するといわれるとき,ものというのは物体ではなく観念対象と解しておく方が確実です。そしてこの関係が,能動属性内にあるXの十全な観念と,受動属性内の様態としてあるXの混乱した観念との間に成立するというのが,僕の形而上学的見解です。十全な観念が能動属性なの様態であること,混乱した観念が受動属性の様態でなければならないことは第三部定理三から明らかです。そして能動属性と受動属性は,各々が哲学属性と神学属性を意味することを踏まえれば,哲学属性のXの観念と神学属性のXの観念との間に平行論のような関係があるということになります。つまり哲学属性のXの観念と神学属性のXの観念は,同一個体に類する関係にあると把握するのです。このように把握しておけば,第二部定理三六を厳しく解釈しても,僕の主張とは矛盾しないことになるでしょう。
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