昨日の第27期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第三局。
振駒の結果,糸谷哲郎六段の先手で羽生善治名人の横歩取り△3三角。後手が早くに飛車交換を挑み,先手が応じたことで,中盤をすっ飛ばして終盤という将棋になりました。
先手が叩いた局面で,△同桂と取ったのですが,これ以降は後手が足りないというのが局後の結論になっています。△2五角と打たなければならなかったとのこと。昨晩は観戦していて,非常に面白い将棋だっただけに,この結論には驚きました。第1図以下,長いので手順は割愛して,第2図に進みました。
先手は△1九飛成か△3七桂を予想。後手は△7三桂は遅いとみて指し手は△1九飛成。そこで▲2三歩と垂らされ,やる手がなくて困ったという後手の感想が残っています。それでも取る手がないなら何らかの攻めを繰り出すほかありません。△1六龍▲3五馬△5四飛と指し,先手は▲6八金と受けました。
△5四飛は攻防で,▲6八金は受けただけ。最終盤でこういう交換が入れば攻防手を出した方がよくなりそうなものなのですが,この場合には後手に手段がありませんでした。ここに至っては後手が勝つのは困難で,▲6八金が最終的な決め手であったように思います。
糸谷六段が挑戦者に。またこれにより七段に昇段。タイトル戦は初出場。第一局は来月16日と17日,ハワイで指されます。
観劇の後,保護者による昼食会が予定されていましたが,母はこれには出席しませんでした。午後から整体の予約が入っていたためです。通常は火曜日か木曜日で,この週も前日の木曜日の予約だったのですが,先生の都合でこの日に変更になっていたのです。
3月8日,土曜日。この日は妹の土曜出勤でした。午前中は施設で懇談。その後,弁当を買いに行って施設で食べ,午後からは三渓園での散策でした。
3月9日,日曜日。母と妹は美容院へ。13時の予約で,帰ってきたのは15時45分くらいです。
3月10日,月曜日。妹の遺伝科の通院。通常に比べて間隔が短かったのは,前回の脳波の測定の結果が出ていたためです。癲癇の発作は,小さいものは出ているのだそうです。でもそれは発作にカウントしなくてもよいという程度のもの。実際,以前は発作で横になってしまうというようなケースがありましたが,最近はそういうことは皆無です。ですからカウントしなくてもよいという説明は,非常に納得のいくものでした。また,鉄剤の処方は半減されたとはいえ続いていました。貧血も明らかに改善されてきているとのことでしたが,朝に1錠の服用は継続することになりました。帰ってきたのは午後2時半くらい。僕はこの日は屏風浦に行っていまして,近いですが戻ったのは午後4時15分頃でした。
3月14日,金曜日。この日に母と妹がアメリカに飛び立ちました。成田を夜に出発するシンガポール航空の便で,家を出たのは午後2時前。この日の夕食から,しばらくは僕ひとりでの日本での生活になりました。僕はこの日は日野に行ったのですが,思いのほか早く,午後4時前に帰ることができました。
3月17日,月曜日。内分泌科の通院がありました。この日は診察の予約が午後1時と,早くなっていましたので,ここ最近よりは1時間ほど早く家を出て,病院に到着したのは午前11時45分頃。中央検査室では3人ほどの患者が待っていましたので,先に採尿を済ませてから採血となりました。前回から新しくなったアームバンドを巻いてもらい,食堂へ。食事を済ませたらすぐに内分泌科の受付に向いました。
振駒の結果,糸谷哲郎六段の先手で羽生善治名人の横歩取り△3三角。後手が早くに飛車交換を挑み,先手が応じたことで,中盤をすっ飛ばして終盤という将棋になりました。
先手が叩いた局面で,△同桂と取ったのですが,これ以降は後手が足りないというのが局後の結論になっています。△2五角と打たなければならなかったとのこと。昨晩は観戦していて,非常に面白い将棋だっただけに,この結論には驚きました。第1図以下,長いので手順は割愛して,第2図に進みました。
先手は△1九飛成か△3七桂を予想。後手は△7三桂は遅いとみて指し手は△1九飛成。そこで▲2三歩と垂らされ,やる手がなくて困ったという後手の感想が残っています。それでも取る手がないなら何らかの攻めを繰り出すほかありません。△1六龍▲3五馬△5四飛と指し,先手は▲6八金と受けました。
△5四飛は攻防で,▲6八金は受けただけ。最終盤でこういう交換が入れば攻防手を出した方がよくなりそうなものなのですが,この場合には後手に手段がありませんでした。ここに至っては後手が勝つのは困難で,▲6八金が最終的な決め手であったように思います。
糸谷六段が挑戦者に。またこれにより七段に昇段。タイトル戦は初出場。第一局は来月16日と17日,ハワイで指されます。
観劇の後,保護者による昼食会が予定されていましたが,母はこれには出席しませんでした。午後から整体の予約が入っていたためです。通常は火曜日か木曜日で,この週も前日の木曜日の予約だったのですが,先生の都合でこの日に変更になっていたのです。
3月8日,土曜日。この日は妹の土曜出勤でした。午前中は施設で懇談。その後,弁当を買いに行って施設で食べ,午後からは三渓園での散策でした。
3月9日,日曜日。母と妹は美容院へ。13時の予約で,帰ってきたのは15時45分くらいです。
3月10日,月曜日。妹の遺伝科の通院。通常に比べて間隔が短かったのは,前回の脳波の測定の結果が出ていたためです。癲癇の発作は,小さいものは出ているのだそうです。でもそれは発作にカウントしなくてもよいという程度のもの。実際,以前は発作で横になってしまうというようなケースがありましたが,最近はそういうことは皆無です。ですからカウントしなくてもよいという説明は,非常に納得のいくものでした。また,鉄剤の処方は半減されたとはいえ続いていました。貧血も明らかに改善されてきているとのことでしたが,朝に1錠の服用は継続することになりました。帰ってきたのは午後2時半くらい。僕はこの日は屏風浦に行っていまして,近いですが戻ったのは午後4時15分頃でした。
3月14日,金曜日。この日に母と妹がアメリカに飛び立ちました。成田を夜に出発するシンガポール航空の便で,家を出たのは午後2時前。この日の夕食から,しばらくは僕ひとりでの日本での生活になりました。僕はこの日は日野に行ったのですが,思いのほか早く,午後4時前に帰ることができました。
3月17日,月曜日。内分泌科の通院がありました。この日は診察の予約が午後1時と,早くなっていましたので,ここ最近よりは1時間ほど早く家を出て,病院に到着したのは午前11時45分頃。中央検査室では3人ほどの患者が待っていましたので,先に採尿を済ませてから採血となりました。前回から新しくなったアームバンドを巻いてもらい,食堂へ。食事を済ませたらすぐに内分泌科の受付に向いました。