スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

滞在中&水道管の交換

2014-09-27 19:13:39 | 哲学
 訪問の意図は詳しくは不明ですが,スピノザがユトレヒトを訪れたのは事実。滞在中の出来事に関しては,リュカスJean Maximilien LucasとコレルスJohannes Colerusで,一致している部分もあれば,異なった部分もあります。
                         
 招待の理由もまた判然としませんが,訪問は,コンデ公の招待がなければ実現しなかったのは間違いないと思います。しかしスピノザが当のコンデ公とは会えなかったという点は,リュカスもコレルスも一致していますので,それもまた事実として間違いないものと思われます。
 リュカスは,スピノザの訪問を受けたのはリュクサンブールであったとしています。この人については説明がないのですが,フランス軍の将軍であったようです。リュクサンブールはスピノザを歓待し,コンデ公の愛顧をスピノザに保証したとリュカスは記しています。
 一方,コレルスは,スピノザはストッパ中佐と語り合ったのだとしています。ストッパは,もしもスピノザが国王に著書を献上するなら,年金を受け取れるように取り計らうと約束したのだけれども,スピノザは自著を献上しようと思わなかったので,その申し出を鄭重に断ったという主旨の記述をしています。フランスは反動的保守派といえるカトリックが強い地域でしたから,その思想と相容れる要素がないと思われる自身の著作を,スピノザが献上したいと思わなかったというのは,事実であるかどうかは分かりませんが,納得できるところではあります。後にハイデルベルク大学教授への就任の要請を断ったことと,相通じる要素がここにはあると思えるからです。スピノザにとっては金銭や名誉よりも大事なもの,すなわち哲学する自由が存在したという意味においてです。
 ただ,両者に共通していえるのは,スピノザがユトレヒトでぞんざいに扱われるようなことはなかったということです。むしろ鄭重なもてなしを受けたといえるような内容であることは共通しています。その具体的な内容がどうあれ,これもまた史実として受け止めてよいのだろうと思います。

 水が流れるようになったとはいっても,これは一時的なものにすぎません。水道管の劣化が原因であると考えられたからです。それなら水道管自体を新しいものと交換しない限り,いずれまた詰まることが必然でした。ただこのときは水が流れないと困るので,急いで来てもらったのですから,新品の水道管が用意されていたわけではありません。何より夜のことでしたから,暗くて工事をすることはできません。放置はできないので,後日,水道管を交換する工事の発注だけをしておきました。
 8月2日,土曜日。妹の土曜出勤です。この日は納涼会で,も一緒でした。午前中はビデオの観賞。昼食を挟んで午後からはカラオケ大会が行われたとのこと。利用者は一曲ずつ歌ったようですが,全員がきちんと歌えるというわけではありません。何も関係のない人が,ただこれを聴くためだけに参加したとしたら,それは拷問に等しいのではないかというのが母の感想でした。
 8月3日,日曜日。この日に水道管の交換の工事を実行しました。すぐに換えるなら前日でしたが,母が不在であったためにこの日にしたものです。この工事自体は朝から始め,午前中には終了しました。ただ,担当した業者によれば,これですべてが解決するとは限らないとのことでした。これには以下のような事情があります。
 僕の家の下水管は,僕が産まれるよりも前に配管されたものです。その当時,この付近は長屋が多く,それに合わせて配管されているようなのです。現在は僕の家と北側の隣家はそれぞれ独立していますが,下水管は共有のまま。ですから隣家の敷地内の水道管には手を出せません。つまりこのときに交換したのは,はっきりと僕の家の敷地に属するとみられた水道管だけだったので,もしもその先に何らかの問題があった場合に,また流しが詰まるという事態が発生する可能性がこのままでは残るということが,業者から伝えられました。実際にはこの排水管は,隣家だけでなく,隣家の西向いの家,僕の家からみると斜向かいの家の水道管にも繋がっているようです。ですからこれを交換する工事を行うとなれば,それぞれの家の同意を取りつける必要があります。
コメント
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