スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

よさこい賞争覇戦&因果関係と神の本性

2013-07-28 18:45:22 | 競輪
 初日の最終レースで7選手が失格という大波乱の幕開けとなった高知記念の決勝。並びは上原ー藤田ー大薗-棟方の東日本,稲垣ー南ー澤田ー山内の近畿中部で星島は単騎。
 スタートは南が取って稲垣が前受け。切れ目に星島がいて6番手から上原の周回。上原は打鐘前のバックから上昇していき,稲垣を抑えたあたりで打鐘。少しペースを落とし,星島がこちらにスイッチして稲垣は6番手。稲垣の追い出しで上原はホーム手前から発進。稲垣もすぐに巻き返しにいきましたが,南が続いただけで澤田以下は離れました。バックで稲垣が前に追いつこうかというところで藤田が番手から発進。少し踏み合いましたが苦しくなったのは稲垣の方。南が大薗と競り合うように藤田にスイッチし,直線は前を追ったものの届かず,優勝は藤田。半車輪差の2着が南で3着に半車身差で大薗。
 優勝した埼玉の藤田竜矢選手はこれが記念競輪初優勝。初日のアクシデントに加え,有力と思われた選手の脱落も重なり,メンバー的には少し楽でした。上原がうまく駆けて二段駆けが決まるということで,展開面でも幸運に恵まれた面があります。まだビッグでは負け戦でも1着をとったことがない選手で,さすがにすぐに一線級での戦いに参加するのは難しそう。そういう意味では絶好のチャンスをものにしたとはいえるでしょう。ただ,1度でも記念を勝った選手とそうでない選手には差があると僕は考えていますので,今後のレースぶりには注目する必要があるかもしれません。

 きわめて単純にいいます。僕の考えでは,あらゆる原因と結果との間に同一の必然性があるというためには,第一部定理一一が必要とされます。いい換えれば第一部公理三のうちには,証明されなければならない事柄が含まれています。したがって第一部定理一一が正しいとされれば第一部公理三も正しいということになります。よって第一部公理三は,公理としては不成立であると判断するのです。
 このとき第一部公理三,とくにそのふたつの意味のうち強い意味の方と,第一部定理一一との関係は,第一部定理一一が第一部公理三を背後から支えるのだと僕は理解します。つまり因果関係,ここで僕が因果関係というのは,一般的な意味において原因と結果の関係というよりは,個々の因果関係,すなわち具体的に存在するある原因とその結果との間にある関係のことですが,それら個々の因果関係を必然的たらしめるためには,あるいはそれを必然的であるといい得るようにするためには,神の存在が必要とされると僕は考えているわけです。
 第一部定理一七が示しているように,神は神自身の本性の必然性によって働きます。したがって神の存在もまた,神の本性の必然性のうちにあるといわなければなりません。もっともこのことは,第一部定義六により神が実体であるということ,第一部定理七により実体の本性にはその実体の存在が含まれているということからより明白であるといえるでしょう。
 そこでこれらのことをまとめると,次のことが帰結します。各々の原因と結果との間にある必然性は,神の本性の必然性によってその背後を支えられているのです。いい換えれば,原因と結果との間にある関係というのは,神の本性の法則そのもの,あるいは神の本性の必然性の一部なのです。したがって,たとえばあるものAがあるとして,このAを原因としてBが結果として産出されるということは,神の本性の必然性のある種の具現化であるということになります。もちろんこの具現化というのは,とくにこの場合の因果関係にのみ適用されるというわけではなく,すべての原因と結果との間に適用されなければなりません。一定の原因から必然的に結果が生じるのだからです。
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