スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&仮説による解明

2013-07-30 19:27:47 | 将棋
 層雲峡で指された第54期王位戦七番勝負第三局。
 羽生善治王位の先手で矢倉へ誘導。行方尚史八段は最近の矢倉戦としては早めに△7四歩と突いたので,急戦なのかと思いましたら相矢倉に。先手は脇システムを目指しました。これは後手が早くに△7四歩を突けば避けられない形。ということは先手は脇システムは優秀な作戦と考え,後手は脇システムにされても大丈夫と考えていたということ。駒組の段階から火花の散る将棋だったといえます。双方の自信通り,かなり難しい中盤戦が続いていたように思いました。
                        
 2四で銀と香車の交換が行われた局面。先手は取った銀を▲6三銀と打っていきました。後手は△8七銀▲同金△同歩成▲同王△8六歩とし,▲7八王を見て△6三飛と銀を入手。▲同角成に取った銀を△7七銀と打ち込みました。
                        
 難しいながらもこれで後手が勝っているようです。ということは第1図で▲6三銀と打ったのは,質駒を与えてしまったという側面があり,この将棋の敗着であったかもしれません。ただ,後手の寄せの鋭さの方に瞠目すべき一局であったと感じます。
 行方八段がシリーズ初勝利で1勝2敗。後手で勝ったのは大きいでしょう。先手で迎えられる第四局は来週の木曜と金曜です。

 物の表現と因果関係との間に,ある調和があるということは,考えてみればきわめて当然のことです。なぜなら第一部定理三六により,どんな物であってもそれが実在する限り何らかの結果を生じさせるのであるとしたら,そのこと自体がその物の表現そのものである,あるいは少なくともその物の表現の一部であると理解するべきだからです。このことは,第一部定理三六証明が,物の表現に依拠していることから明らかだといえます。
 すると,次のように理解することが適切であることになります。自然のうちにXが実在するとき,このXは神の本性の必然性に適合するようなすべての表現をなし,神の本性の法則に外れるような表現は何もなすことがありません。これと同じように,Xは神の本性の必然性に適合するようなあらゆる結果を産出し,神の本性の法則から外れるような結果は何も産出しないのです。ある物Xが結果を産出するということが,Xによる表現の一部を構成すると理解する限り,このように考えなければならないからです。
 したがって,物の表現を決定する原因が神であるように,物の作用,すなわち物が原因となってある結果を産出することの原因も神であるということが,それ自体で帰結していることになります。そしてこれは仮説にすぎませんが,このように理解するのであれば,第一部定理二六証明への疑問のうち最後のものに関しても,解明することができると僕は思います。
 ただし,ここでは物の表現について説明したときと同じような注意が必要です。それは神の決定とはいっても,それは神が意志によってあることをなしたりなさなかったりするように,この場合でいえばある結果を産出したりしなかったりするように物に決定するということではないということです。むしろ神の決定というのは,神の本性の必然性そのもののことなのであって,僕たちが普通にある事柄を決定するという場合におけるような決定の重さとでもいうべきものを,ここではさほど重視しなくてよいのです。結果の産出が表現の一部であるのだとすれば,表現の場合に注意するべき事柄が,個々の因果関係にも適用されるのは当然だといえるでしょう。
コメント
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