スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

船内での論争&抽象名詞

2013-07-21 18:37:40 | 歌・小説
 留学のために夏目漱石が乗った船は,真直ぐにヨーロッパまで行ったわけではなく,途中でいろいろなところに寄港しています。船中から妻に宛てて書簡を認めることが可能だったのも,こうした理由からでした。また,知り合いだったノット夫人が乗船したのは横浜からではなく,1900年9月10日に長崎に寄港したおりでした。
                         
 『漱石の道程』によれば,この船には藤代禎輔と芳賀矢一という日本人が同乗していました。この両名も留学の途上であったようです。船は13日には上海に寄港。ここでおそらくイギリス人と思われる宣教師の集団が,その家族と合わせて20名ほど乗ってきました。この中に職務に忠実な人がいたようで,船内で伝道を開始。漱石は見込まれてその相手になったようです。これは僕の見解ですが,宣教師が見込んだのは漱石の宗教的資質であったというより,漱石が英語に不自由しなかったからだと思います。
 藤代はこのことに関連して,漱石は神の存在というような問題で宣教師をてこずらせたと書いたそうです。ただしこれは漱石の弟子である小宮豊隆が後に書いた内容らしく,そのまま信頼するのは危険かもしれません。ただ,宣教師と漱石との間で何らかの論争があったのは事実らしく,それについては芳賀の方も証言しています。これは芳賀自身による日記に書かれているものですから,概ね信頼できる内容でしょう。
 芳賀によれば,10月11日に漱石と一緒に英語の説教を聞いたとあります。上海に寄港してから一月弱が経過しています。ノット夫人が漱石に声を掛けたのは10月4日で,漱石の聖書を渡したのが10日だったそうで,ちょうどその次の日のことになります。ですからノット夫人とこの宣教師の間で,漱石に関して何らかの会話があった可能性は否定できないように思います。
 説教を聞いた翌12日の芳賀の日記には,漱石が宣教師と語り合ってその鼻を挫いたとありますから,やはり論争があったのは事実で,漱石の考え方が宣教師を困らせたというのも事実だったと判断していいのでしょう。具体的にどのようなやり取りが両者の間であったのかが不明なのは残念です。

 ただ,実際のところ注意しなくてはいけないのは,人間が認識することが可能な無限様態が四種類しかないという点に存するのではありません。むしろ,ひとつの属性にはひとつの直接無限様態とひとつの間接無限様態しか存在し得ないという点の方にあるのです。
 あえて繰り返しますが,第一部定義六により,神の本性は無限に多くの属性によって構成されています。そしてそれら各々の属性に直接無限様態と間接無限様態があるのですから,単に数という観点からみるならば,無限に多くの直接無限様態と間接無限様態があるというように考えなければなりません。そして個物res singularisも無限に多く存在するのですから,もしもこの点にだけ着目するならば,無限様態も個物も同じなのであって,抽象性と具体性に関しては同じように注意しなくてはならないというべきでしょう。
 ところが,無限様態と個物res singularisを分ける最大のポイントが,無限様態は各々の属性には直接無限様態がひとつ,そして間接無限様態がひとつずつしかないという点にはあるのです。なぜならば,このことが意味するのは,たとえ全体としてみた場合には無限様態が無限に多くあるのだとしても,それら無限様態のいずれも,異なった本性を有するということだからです。あるいは別のいい方をするならば,たとえ無限に多くの無限様態があるのだとしても,同一の本性を有する複数の無限様態は存在しないということになるからです。
 個物res singularisの場合はこれとは異なります。同一の本性を有する複数のres singularisが自然のうちには存在します。これは数多くの人間が現実的に存在しているという事実だけをもってしてその証明になるといえます。したがって,たとえば延長の属性の直接無限様態,これは運動と静止のことですが,この場合の運動と静止というのは抽象名詞ではありません。同一の本性を有する複数の運動と静止は存在し得ないからです。しかしこれに反して人間というのは,同一の本性を有する複数の人間が存在しますから,物とかres singularisほど含む範疇,すなわちその抽象性は広くありませんが,なお抽象名詞なのです。
コメント (1)
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