スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

宝塚記念&不安の回避

2010-06-27 19:08:47 | 中央競馬
 昨年の有馬記念で差のない競馬で後ろを離した2頭の再戦となった宝塚記念。コパノジングーが出走取消で17頭。
 発走でドリームジャーニーが左によれましたがすぐに立て直されました。事前に逃げる可能性を示唆していたナムラクレセントの先導。ブエナビスタは3,4番手の内を進み,ドリームジャーニーは中団から。最初の1000mは60秒ちょうど。ミドルペースでしょう。
 ドリームジャーニーは3コーナーの手前あたりから外を進出開始。直線に入ると2番手のアーネストリーが一旦は先頭。ブエナビスタはその内に進路を取ってこれを交わしました。しかし馬場の中ほどをドリームジャーニーの少し前でレースを進めていたナカヤマフェスタが鋭く伸び,内で争う2頭を捕えて優勝。ブエナビスタが2着でアーネストリーが3着。ドリームジャーニーは4着まで。
 優勝したナカヤマフェスタはデビュー2戦目の東京スポーツ杯2歳ステークスを優勝。極悪馬場となったダービーでも1頭だけ追い込んで4着。秋はセントライト記念も制していて,現4歳牡馬ではトップクラス。今日もレース直前に騎手を振り落としていたように気難しい面があり,必ずしも安定した成績は残せずにいましたが,純粋な競走能力だけならここで勝っても何の不思議もない馬でした。待望の大レース初制覇。実績ある馬たちを従えてのものですから,フロックではありません。父はステイゴールド
 騎乗した柴田善臣騎手は2006年の高松宮記念以来の大レース制覇。管理する二ノ宮敬宇[よしたか]調教師はエルコンドルパサーで1999年のサンクルー大賞を制して以来の大レース制覇。宝塚記念はともに初優勝です。

 僕は自分の生活に対してそれを役立てようという意図をもってスピノザの哲学に接しているというわけではないので,こういうことには実はあまり関心はないのですが,日常生活における指針というような意味では,もうひとつ,これと類似したようなことも挙げられると思います。
 たとえば僕たちがある強い不安に駆られたとしましょう。そのときに,なぜ自分自身がそんなにも強い不安に襲われているのかということを考えるということが,この不安から逃れるためのひとつの方法になるのです。少なくともそれについて考えている間は,僕たちはその不安から逃れているといえるからです。
 なぜそうなるのかは,論理的に示すことができます。
 第三部諸感情の定義一三により,不安というのは基本感情のうちの悲しみの一種です。したがって第三部定理五九により,この感情は能動的ではあり得ません。いい換えれば人間は不安を感じている場合には必ず受動的であるということになります。
 一方,それがどんな事柄であれ,僕たちが何事かについて考えるときには,僕たちの精神はそれに対して十全な原因になります。したがってこれは第三部定義二により能動です。不安をはじめとする感情は,スピノザの哲学においては第三部定義三にあるように身体についても精神についても用いることができる特別なことばですが,ある人間の精神は第二部定理一三によりその人間の身体と同一個体ですから,第二部定理七によって秩序は一致します。したがってある人間の精神が能動的であるときは,その人間の身体も能動的です。したがって人間が何かを考えているとき,その人間は精神も身体も能動的であるということになります。よって再び第三部定理五九により,少なくともこの間は,人間はあらゆる悲しみから逃れているということになり,つまりは悲しみの一種である不安も回避しているということになるのです。
 柄谷行人さんは「スピノザと無限」という論考の冒頭で,人間はなぜ悲しいのかを考えている間だけは情念から自由であるというスピノザの考え方に感銘を受けたというエピソードを著していますが,これはここで僕がいっていることと同じといっていいと思います。人間は何かについて考えているときは,単に不安だけでなく,あらゆる悲しみから自由であるといえるでしょう。
                         
コメント
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